2009年9月 2日 (水)

■【築地本願寺&築地場外市場巡り】旧盆明けの朝、関東の人々に“築地本願寺さん”と親しまれている「築地本願寺」へお参りし、約400店が並ぶ「築地場外市場」で朝食に海鮮丼を食べました。

◆“場内”と呼ばれる日本を代表する「築地市場」に隣接している築地場外市場は、業者はもとより、一般客や海外からの人々が訪れる。 食材を卸値並みの値段で買ったり、丼や寿司など新鮮な海の幸を味わう楽しみも満喫できる。

旧盆明けの平日、所用のため新幹線で上京しました。 当夜はいつものホテルが取れず、築地のホテルに一泊しました。
  
  なぜ、築地に宿を取ったかというと、36年ぶりに朝の築地本願寺と築地場外市場を訪ねてみたくなったからでした。
 
  私は1973年春の2か月間、東京・銀座の歌舞伎座近くの旅館に滞在したことがあります。 滞在中は早朝から近くの築地市場へ出入りする自動車の騒音で、目が覚めたものでした。

  しかし、朝に強い私には目覚し時計代わりで、絶好の読書や散策の時間でした。
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  今回、宿舎からわずか数分歩けば到着する場外市場へ、業者の買い物が落ち着く午前7時ごろ出かけてみました。 途中、築地本願寺の前を通りかかりました。 

   通称は“築地本願寺さん”と呼んでいますが、正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」と言います。 その発祥は、元和3(1617)年、西本願寺の別院として建立されました。

022  わが家の宗教は昔から本願寺派だったようで、亡くなった両親は熱心な門徒でした。 本堂まで入室してお参りしました。  朝が早いためお参りの人は数人でした。

   築地本願寺から築地場外市場へは、目の前の交差点を渡るとすぐ市場入口です。

018   交差点の道路標識は、近くの主要な公共施設等の方向を示しています。
  
  昔も今も市場は朝5時ごろ始まるようですから、早朝の時間帯はこの道路も大混雑していることでしょう。

003   場外市場の案内看板は交差点の反対側からもよく見えます。

   現在、“場内”と呼ばれる築地市場は他の場所へ移転計画がありますが、場外市場の看板には「場外市場は移転しません」と表記してありました。

004  「もんぜき通り」と呼ばれるこの通りは店が密集しており、食物の店は道路側の駐輪場所に食事スペースを設けた店がありました。   

  場外市場を一周し、ようやく朝食を摂る店を見つけました。
012_2   お店はまぐろ丼、海鮮丼、いくら丼など丼物が多い「たねいち」でした。 運よく外国人のグループが食べ終わって、カウンターが空きました。
 
  
013   これが当日食べた鮮度抜群の海鮮丼です。 

   市場内を散歩して空腹でしたので一層おいしく感じました。

011  市場内にはコーヒー党のために、喫茶コーナーが設けてあります。

  36年ぶりの築地本願寺参りと場外市場での朝食でした。

《ふるさとの地名俳句》【築地本願寺】
  野分めく風や魚河岸本願寺  清水 基吉


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2009年7月19日 (日)

■【景勝地巡り】“西の尾瀬沼”と親しまれている「鯉が窪湿原」は、標高わずか550mなのに日本最古の自然の姿を保ち、多彩な湿生植物が自生(岡山県新見市哲西町)

広さ3.6haの湿原はかつて大陸と陸続きだったころの生き残り植物を始め、北方系や満鮮系の残存植物など、300種を超える貴重な植物が自生し、春、夏、秋に花を咲かせる大群落

089 「鯉が窪湿原」はマイカーで中国自動車道東城ICを降りて、R182号を新見方面へ約10分走ると、前方に「道の駅鯉が窪」(左側)、「鯉が窪湿原」(右側)の案内標識が見えます。  道の駅前の交差点で右折して、すぐ前方に「鯉が窪湿原約3.2km」の標識があり、右折場所に木柱(写真)の標識が見えます。

 標識に沿って走ると当湿原の駐車場に到着します。  駐車場から少し歩くと、当湿原入口を兼ねる資料館があります。

087 当湿原のある鯉が窪池は約300余年昔(1694年)に灌がい用水池として築造され、その後も修復されながら現在に至っています。  
  
  私が鯉が窪湿原(1979年、国の天然記念物指定)を初めて訪れたのは、今から約20年前に家人と県外の湿原を訪ねるため、島根県赤来湿原(現飯南町)に次いで当湿原を訪れました。  その後も度々訪れていますが、“平成合併”後は今回(6月上旬)家人と訪れたのが初めてです。

  当初、現在の資料館がある池の放水路一帯は雑草の生い茂る雑草地帯でした。 現在は数種類の湿原植物が生えている「ミニ湿原」として整備し、有効活用されています。 

061   この写真が鯉が窪池を取り巻く湿原案内図です。  入口で入場時に当湿原のパンフレットを渡されますので、案内図と見比べて時間と脚力に見合った周回計画を立てるのも一つの方法です。

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   写真は「今咲いている花」の案内板です。  訪問時には 「ヒツジグサ、サワオグルマ、アギスミレ」の3種類だけでした。 今回、哲西町訪問の主目的は別場所でしたので、花の種類が少ないことにはこだわりません。    6月中旬からは多くの湿生植物の開花が見られます。

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   鯉が窪池の満水時の面積は約2.7haあり、下流の水田約45haを潤しています。 湿原はこの池の上流に集中して広がり、面積は3.5haで一周すれば2.4kmあります。 
 
  当湿原は「西の尾瀬沼」とも形容されますが、尾瀬沼(標高1,665m)に比べると標高は1,100m以上も低く、それでも多彩な湿生植物が自生しています。

082    湿原には花の案内標識が立ててあり、初めての訪問者でも花の群落がよくわかるようになっています。 

  当湿原の湿生植物開花一覧表は、2004年に開花時期が調整されておりますので、それより古い開花一覧表をお持ちの方はご注意ください。  なお、開花時期一覧表は、新見市ホームページにも掲載してあります。

《鯉が窪湿原》
●住 所:719-3701 岡山県新見市哲西町矢田矢田谷地内
●電 話:0867-94-2113(新見市役所哲西支局経済建設課)
      0867-94-2347(鯉が窪湿原現地管理事務所)〔4月下旬から11月上旬〕
※0867-94-9017(道の駅「鯉が窪」)でも観光案内担当 
● H P:新見市役所観光情報

《資 料》
 ・『鯉が窪の湿原』新見市パンフレットほか 

《ふるさとの地名俳句》 【鯉が窪湿原】
  鷺草(さぎそう)は翼たたむを知らざりき  松下 武文
  


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2009年7月12日 (日)

■【出雲国神仏霊場巡り】“神々の国・神話の国の中心神社”第1番霊場「出雲大社(御祭神・おおくにぬしのおおかみ)」巡拝(出雲市大社町)

◆「縁結び」の大神様として知られ、旧暦10月の「神在月」には全国の神様が集われる社
 去る5月中旬の神仏霊場巡りは、第1番霊場「出雲大社」(いずもおおやしろ)で一日だけの巡拝を終わりました。 私は15年前頃からマイカーで出雲地方を訪れる際は、いつも出雲大社へ立ち寄って参拝しています。

090514_0016   神社境内には出雲大社を示す石柱が立っていますが、本殿、拝殿、神楽殿や神在月に全国の神々が集まって会議を行うとされる神々の宿泊所が19社等々多くの建物が建っていて、この石柱に気付く人がはたしてどれだけいるでしょうか。

090514_0003  出雲国神仏霊場は最初の第1番霊場を出雲大社と定め、最後の第20番霊場を日御碕神社と定めていますが、順番は特に指定されてなく自由に回れます。

  当社の御祭神・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)は、ダイコクサマ、国作りの神、国魂(くにたま)の神、縁結びの神など、数多くの御神名で慕い称えられています。

090514_0002   現在の国宝・御本殿は1774年(延喜元年)に造営され、以来、1809年、1881年、1953年と3度にわたり遷宮修造が行われ、このたび約60年ぶりに「平成の遷宮」が行われていて現在、本殿は修造中です。

   なお、本殿遷座祭は2013年5月の予定で、遷宮修造中は拝殿が大国主大神の仮の住まいとなっています。

090514_0062    一般に神社の参拝作法は「二礼・二拍手・一礼」ですが、出雲大社は「二礼(拝)・四拍手・一礼(拝)」です。
  
090514_0010   拝殿(仮殿)は1959年に再建されたものです。 現在は仮殿を兼ねています。  

 昨年、当社を訪れた人は「平成の大遷宮」の波及効果もあって、約250万人(対前年比109.74%)でした (資料:「平成20年島根県観光動態調査結果表」島根県)。

最後に、雑誌『サライ』VOL.21第15号(小学館発行)が7月16日に発売され、その特集の一つに「出雲大社『謎解き』の旅」が掲載される旨、サライ14号誌の巻末予告で知りました。

  ご関心のある方はご一読ください。 私はサライを創刊以来愛読しています。   

《出雲大社》
●住 所:〒699-0701 出雲市大社町杵築東195
●電 話:0853-53-3100
●H P:出雲大社 

《ふるさとの地名俳句》【出雲大社の大杉】
  八雲立つ出雲大社の杉おぼろ  西村 佐恵

《追 補》
  当日は第18番霊場「須佐神社」から19、20番霊場を巡拝して、第1番霊場「出雲大社」へ巡拝後、近くの出雲ワイナリーで休憩して、 最後は島根県立美術館(ブロググ'09.07.8掲載)へ行きました。 併せてご覧ください。

  その後の出雲国神仏霊場巡りは、6月に入って第2番霊場「鰐淵寺」、第3番霊場「一畑寺」、第4番霊場「佐太神社」、第5番霊場「月照寺」、第6番霊場「売布神社」を一日で巡拝しました。  ただし、ブログへは一部の社寺しか掲載を予定していません。

なお、7、8月猛暑時の霊場巡りを行いません。 残りの出雲国神仏霊場巡りは9月に再開予定です。

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2009年7月 3日 (金)

■【出雲国神仏霊場巡り】島根半島の西端に位置する第20番霊場「日御碕神社(御祭神:日沈宮=あまてらすおおみかみ、神の宮=すさのおのみこと)を巡拝して(出雲市大社町日御碕)

◆鮮やかな朱色がふんだんに塗られた日御碕神社は、「日の本を守る」命を受けた神社 
  第19番霊場・長浜神社から風土記伝承の国引き神話に出てくる 、“新羅の土地を引いた時の綱”に当る薗(その)の長浜付近や毎年11月(神在月)に全国の八百万(やおよろず)の神々が上陸するといわれる稲佐(いなさの)浜、次に巡拝する第1番霊場・出雲大社近く等を通って、車で約30分の第20番霊場・日御碕(ひのみさき)神社に到着しました。

090514_0006  日御碕神社は社伝によると、上の宮「神の宮」に素盞嗚命(すさのおのみこと)、下の宮「日沈宮」に天照大御神(あまてらすおおかみ)をお祀りしてあります。

  二神の御霊威をいただいた御神徳は、特に厄除け、ほかに縁結び、夫婦円満、家運繁栄、交通安全、海上安全、殖産興業、安産などです。 上世以来、二十数回の造営すべてが天皇の勅命か、将軍命によるものであることからも、御神威の一端がうかがわれます。

090514_0004  写真の日沈宮は天暦2年(948)すぐ前の沖合に浮かぶ経島(ふみしま)より移したと伝えられています。 経島(注1)は以来、神社境内として8月7日の神幸祭に宮司が渡る以外は、渡島を禁止されています。 

 なお、当神社近くの奇岩が続く景勝地「国立公園日御碕灯台」には出雲日御碕灯台(石積灯台としては日本一高い43.65m)があり、「世界の歴史的灯台百選」の一つに選ばれています。

  私は37、8年前のまだ駆け出しコンサルタントの頃に当時、人材育成に熱心な出雲市内の団体の中堅職員研修講師として招かれ、日御碕の宿泊施設に1泊2日間滞在したことがあります。

  研修のない午前中は灯台、経島、神社などを散策したり、施設の従業員から釣竿を借りて経島近辺の海岸で釣り糸を垂れたりした情景を、当神社巡拝中に鮮明に思い起こし、暫し感慨に耽りました。

  昨年(2008年)の島根県内の観光客入り込み数(注2)は、県全体で28,701千人(対前年比101.81%)でした。 これに対して、昨年の日御碕地区観光客入り込み数は1,354千人(対前年比103.83%)でした。

  当地区観光客入り込み数の内訳は、○出雲日御碕灯台79千人(〃98.11%)、○グラスボート6千人(〃 101.94%)、○その他(日御碕神社含む)1,269千人(〃104.22%)で、日御碕神社への参拝者は多いようです。

《注1:経島》
 神社西側の海岸にある面積200㎡ほどの岩礁で、柱状節理の石英角斑岩からなり、経巻を重ねたように見えるところから経島の名がある。 経島は日本海岸西部におけるウミネコ(海鳥)の繁殖地として、国の天然記念物に指定されている。 

《注2:観光客入り込み数》 
 毎年、各都道府県において暦年(1月~12月)で集計、公表している。 出典:「平成20年島根県観光動態調査結果表」(島根県商工労働部観光振興課)

《日御碕神社》
●住 所:〒699-0763 島根県出雲市大社町日御碕455
●電 話:0853-54-5261
● H P:日御碕神社

《ふるさとの地名俳句》【日御碕神社】 & 【経島】(ふみしま)
  「日沈むの宮」の光背夕紅葉  柴田 南海子
  経島に海猫がやがやと集いけり  保坂 知加子

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2009年6月 8日 (月)

■【出雲国神仏霊場巡り】“国引き神話の里”第19番霊場「長浜神社」(主祭神:やつかみずおみつぬのみこと)を巡拝して(出雲市西園町上長浜)

◆「武道・スポーツ」「勝利」の神である「国引きの神」を祭り、妙見信仰を伝える神社 
  5月中旬、既報((5月15日付ブログ))の第18番霊場「須佐神社」」巡拝後は、当日引き続いて第19番、第20番及び第1番(出雲大社)の各霊場を巡拝しました。  本稿では第19番霊場巡拝を掲載します。 
 
♣第19番霊場「長浜神社」(主祭神:八束水臣津野命)巡拝
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当神社は出雲平野の西端にある妙見山に在り、出雲の国風土記の冒頭を飾る国引き(くにびき)神話の神様を主祭神としてお祀りしてあります。 
  通称は「妙見さん」「国引きの宮御祭神」と呼ばれ、御神徳は「武道・スポーツ上達」「勝利」「生成化育」です。

  今回、私たち3人にとって初めての参拝となりました。 駐車場は上下2か所にあり、私たちは下の駐車場に車を止めて、徒歩約10分の石段を上がりました。  足の不自由な方などは神社横に停められる上の駐車場をお勧めします。

  私たちが入り口の鳥居をくぐり、石段を登って神社境内に上がりつきましたら、突然太鼓の連打音が響きました。  太鼓は正面向かって左端の社務所内から、神主さんがわれわれ参拝者を迎えて打ち鳴らしているようです。

  まずは正面の神殿に額づいてお参りし、御朱印を授かるために社務所へ向かいました。 御朱印には当神社の縁起に因んだ「綱」一文字が大書きされていました。

  社務所内の部屋の壁に一幅の大絵画があり、太古の国引きの神と当時の地域住民や漁民が力を合せて国引きの網を引いている様子が描いてありました。  

参拝を終えて神社を辞去する際には来訪時と同じく太鼓の連打で送られました。  次の参拝予定は第20番霊場「日御碕神社」(所要時間約30分)です。

《コーヒー・ブレーク》【国引き神話】
  国引き神話は、出雲国に伝わる神話の一つである。 『出雲国風土記』の冒頭、意宇郡(おうこおり)の最初の部分に書かれている。

  八束水臣津野命(やつかみづおみつぬのみこと)は、出雲の国は狭い若国(未完成の国)であるので、他国の余った土地(朝鮮半島の新羅の岬など)を引っ張ってきて広く継ぎ足そうとした。  

  そして、佐比売山(現在の三瓶山 1,126.2m)と火神山(現在の大山 1,729m)に綱をかけ、「国来国来( くにこくにこ)」と国を引き、できた土地が現在の島根半島であるという。  

   国を引いた綱はそれぞれ薗(その)の長浜(現在の稲佐の浜)と弓浜半島になった。(出典:Wikipediaほか)

【手頃な出雲国風土記の解説、ガイドブックの紹介】
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『出雲国風土記~フシギ発見の旅 ガイドブック』ザ・出雲研究会編、定価(本体1,000円+税)
 ※アマチュアの出雲古代史研究者2名による、唯一完本『出雲国風土記』の解説、ガイドブック
 【問】発行所 島根県松江市北堀町326 泉方 ザ・出雲研究会 ℡0852-24-7735

《長浜神社》
●住 所:出雲市西園町上長浜4258
●電 話:0853-28-0383
● H  P:長浜神社

《神話に因んだふるさとの地名俳句》【国引】
   国引の海まったりと風光る  能美 百合子 

 

  
  

  

  
  

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2009年5月15日 (金)

■【出雲の国神仏霊場巡り】日本初の神仏和合の霊場“荒ぶる神・すさのおの故郷”第18番霊場「須佐神社」(主祭神:すさのおのみこと)を巡拝して(出雲市佐田町須佐)

◆すさのおのみことが自ら御魂を鎮めた御魂沈めの霊地、御名代の霊跡地で、ゆかりの伝説も多い

♣ 出雲の神さま仏さまを巡る“ご縁の道心の旅”
126 出雲の国神仏霊場は、2005年4月に日本で初めての神仏和合の霊場巡礼として立ち上げ、島根県東部(一部鳥取県西部含む)の20の神社、寺院を巡拝する霊場です。

  出雲大社を起点として宍道湖、中海を一周するルートで全行程約350kmで、順番は特に指定されてなく自由に回れます。

  当霊場巡りは発足当初から、家人とすでに鳥取県西部数か所の社寺を巡拝しました。 しかし、その後は雑事に追われて、巡拝が中断していました。

  なお、12年前に新車の1BOX車をキャンピングカー仕様に改造して登録し、仕事の傍ら車旅で家人と霊場巡拝、美術館巡り、景勝地巡り等を計画しましたがなかなか霊場巡りは果たせず、やっと5年前に家人と四国88か所霊場巡拝(閏年の逆打ち)、その後に中国33観音霊場巡拝を達成した経緯があります。
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今回、各地の特産品の開発や農産物直売所、農村レストラン、道の駅、温泉、宿泊施設等の経営改善をお手伝いしている関係から、島根県出雲地方の道の駅などを視察する機会があり、併せて視察地近くの霊場を日帰りで4か所巡拝することにしました。 本稿ではその最初の神社・須佐神社です。

♣  第18番霊場 須佐(すさ)神社(主祭神:須佐之男命)巡拝
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123  5月中旬、最初に第18番霊場須佐神社を3人(家人とその友人)で訪れました。 当神社は出雲神話に登場する「須佐之男命(すさのおのみこと)が自ら御魂を鎮めた御魂鎮めの霊地、御名代の霊跡地で、ゆかりの伝説も数多い」(出雲の国神仏霊場リーフレット)と記述してありました。 御本殿は出雲大社と共に典型的な大社造りの建物で、島根県重要文化財に指定されています。
 御神徳は家内安全、子孫繁栄、良縁、陸海路交通安全等々です。

  当霊場の各社寺で授与される御朱印には、護縁珠と呼ばれる木製の珠が付いています。 御朱印には各社寺の縁起に因んだ漢字一文字(当神社は「素」)が大書きされていました。

♣ 隣接する公共の湯宿・出雲須佐温泉「ゆかり館」
4_035   町内には隣接して、出雲須佐温泉「ゆかり館」(温浴・宿泊施設)があります。  私は仕事(当館の経営診断)で1回、経営者・ビジネスマンの社外勉強会サークルで2回ほど宿泊・入浴しました。

Sada5_036  当温泉の泉質はかすかに白獨した硫酸塩水で、動脈硬化・切り傷・やけど・慢性皮膚炎・アトピー性皮膚炎などに効果があります。  大浴場には6種類の風呂があり、先日行った際にも昼間に大勢の入浴客が訪れていました。  

   今回は当館に宿泊・入浴しませんでしたが、各和室(宿泊50名)には岩風呂などが設置してあり、家族連れ・カップルなどに好評です。  入浴料金は一般500円、宿泊料金は1名(中学生以上)3,500円、食事料金(夕朝食込み)4,000円です。

♣ 昼食はゆかり館別棟の食堂がお勧め
030  私たちは別棟の食堂で昼食し、私は出雲そばと赤米のご飯を摂りました。 昼食の評価は3人とも「大変美味しかった」でした。 この様子では夕食も‘出雲そば’になりそうな予感?。

 引き続き、次の参拝予定は第19番霊場「長浜神社」(所要時間約30分)です。

《出雲の国神仏霊場》
●事務局:出雲市小境町803 一畑寺内 
●電  話:0853-67-0111
●HP(日本語検索):出雲の国社寺縁座の会 

《須佐神社》
●住  所:出雲市佐田町須佐730
●電  話:0853-84-0605
●HP(日本語検索):須佐神社

《出雲須佐温泉ゆかり館》
●住  所:出雲市佐田町須佐原田737
●電  話:0853-84-0800
●HP(日本語検索):出雲須佐温泉ゆかり館 

《ふるさとの地名俳句》【佐田町】 
 風穴の結びし露の襟足に  三宅 三江 
※佐田町の「八雲風穴」は、約450年前から隣接する寺院「福泉坊」の開山の頃から「清涼山」と呼ばれ、冷風を発する地域だったと伝えられている。  なお、風穴の下に湧き出ている地下水は、「福寿泉」として島根名水百選の一つに選ばれている。 
 詳しくは、HP(日本語検索):佐田町八雲風穴

〔参考資料〕「出雲国神仏霊場公式ガイドブック」及び自治体発行の観光パンフレット(以降、本霊場ブログでは引用)ほか
 
   
  

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2009年4月30日 (木)

■【景勝地】広島県の中央部に位置する世羅台地(標高300m~450m)へ80万株のシバザクラを観に(広島県世羅町「花夢の里ロクタン」)

本州最大5ヘクタールの夢の芝桜庭園は今が見ごろ、高速料金割引観光客も訪れて盛況!

001_2 4月中旬、国道184号から世羅町内「せら高原ふれあいロード」に入って、満開には少し早いかと危惧しながら世羅高原の「花夢(かむ)の里ロクタン」を訪れました。 駐車場から庭園入口までの道は、行き帰りの観光客でごった返していました。

  庭園受付では、入園料は4歳以上300円、中学生以上700円の掲示の横に「ただし、3分咲きは300円、4分咲きは400円、5分咲きは500円」の貼紙があり、受付で「本日は5分咲きのため500円です」と告げられました。
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入園客の中には「満開でないのか、残念」、「満開でなくても、ほぼ見ごろなら良い」、「良かった、500円で入れる」など、反応はさまざまでした。 しかし、私たちを含めて入園せずに引返す人は誰もいませんでした。
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好天の高原の丘一面を覆った主役の赤、白、ピンクに加え、今年はうす紫の品種が加わり4色となっていました。 5ヘクタールの丘は、はるか彼方までシバザクラのじゅうたんでした。
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広い園内を大勢の観光客が丘を上り下りしたり、標高480mの展望台から周囲のシバザクラや世羅台地の遠景を眺めたりしていました。  一方、3ヘクタールの菜の花もほぼ満開で、黄色の帯のようにシバザクラと隣り合っていました。
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4月中旬、下旬の時期は、世羅台地はチューリップ、デイジー、ポピー、菊桃などの花も咲いていましたが、私たちはシバザクラだけを観て帰りました。 5月上旬はふじ、つつじ、しゃくなげなどが咲き誇り、6・7月あじさい、ラベンダー、8月ひまわり、さるすべり、9・10月だいや、コスモスなど、「花観光」はまだまだ続きます。
  
  さらに秋のなりもの(なし、りんご、ぶどう、ラ・フランスなど)「フルーティー(果物の風味がある)せら」と、「果樹観光」の話題が豊富です。  せら夢公園(ワイナリー)も圏内にあります。

《せらナビ.com》 (世羅町商工会ブログ)
●内 容:世羅町の観光サイト-花と果実と特産品情報が満載
●ブログ(日本語検索);せらナビ.com

《シバザクラの俳句》【シバザクラ】(ハナシノブ科)
  芝桜好天あますところなし  石原 舟月
〔NHK花言葉〕合意・一致

  

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2008年11月15日 (土)

■【自然観察】広島県天然記念物「ベニマンサク」の紅葉を日本三景宮島対岸の大野町へ観に(おおの自然観察の森)

◆中国地方随一のベニマンサク自生地は、森林の一角を赤や橙色に変わったハート型に染めてちょうど見ごろ(広島県廿日市市大野町矢草)
  10月下旬に例年より一週間遅れで紅葉した、おおの自然観察の森ベニマンサクの写真が地方紙朝刊に載り、記事を読んだ数日後に家人と訪れました。
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当日は平日午後でしたが訪れる車が多く、廿日市市内の国道2号側からおおの自然観察の森へ通じる狭い道路は、往路、復路とも普通車同士の離合に手間取る有様でした。
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大野権現山麓にある施設入口の駐車場へ車を停めて、園内の自然観察センターへ徒歩で向かいました。    ベニマンサクの分布は長野、岐阜、広島、四国の一部と飛び飛びに分布し連続しておらず、植物地理学上貴重な存在と聞いています。(注)
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マンサクは早春に黄色いリボン状の花を咲かせますが、これに対してベニマンサクは紅葉から落葉の時季に、ヒトデのような花や実をつけます。  大勢の人がベニマンサクの紅葉をカメラに納めたり、鑑賞していました。 
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入園者の中にはベニマンサク群叢を鑑賞しながらベニマンサク湖横を通り抜け、大野権現山(標高699.6m)へ登る家族連れやグループの姿もありました。

  中国山地の紅葉は既に見ごろを過ぎましたが、瀬戸内沿岸ではこれからが本格的な紅葉になります。 今朝の地方紙朝刊に、臨済宗仏通寺(広島県三原市)周辺の紅葉が見ごろになった写真が掲載されていました。

(注)ベニマンサク分布地域の共通点
 「分布地域の共通点は、いずれも古い地層の渓谷沿い。氷河期を生き残った植物と考えられている。日本の特産種といわれるが、中国大陸にも良く似たものがあるそうだ」(引用:『増補版花のアルバム~広島県の自生植物』中国新聞社)

《問い合わせ》  
自然観察センター  電話0829-55-3000
             休園日:月曜日(祝日の場合はその翌日) 
             年末年始

《「市町村の花木」に因んだ短歌》
【ベニマンサク】別名:マルバノキ(マンサク科)※旧大野町の町木
冬晴れのベニマンサクは小さくて少女みたいな真剣な花  鳥海  昭子
<花ことば>早熟(出典:柳宗民ほか監修「誕生日の花と花ことば」NHK) 

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2008年6月 5日 (木)

■【景勝地】高速米子自動車道沿線にある日本最大級フラワーパークを訪ねて(県立とっとり花回廊)

◆秀峰・伯耆大山を望む総面積50haの広大な園内は、日本初の屋根付「展望回廊」など周年型花の公園(鳥取県南部町)

▼開園9年目のとっとり花回廊へ3年ぶり2度目の訪問
  先月下旬、連日の雨の合間を縫って好天の平日に「とっとり花回廊」(当園と略する)へ、家人と「バラ」を観にマイカーで訪れました。  今回は仕事の関係で岡山県、鳥取県内における収益型指定管理者施設の調査を兼ねての訪問です。  
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今回の当園への往路は広島北ICから高速中国自動車道へ入り、庄原ICで出てR183号を日南町まで行き、日野町からR180号、R181号と走り、米子自動車道溝口IC付近から10分の当園へ向かいました。 

  いつものことですが、景観が余り変り映えしない高速道よりも、沿線で自由に駐停車して、休憩、買い物できる一般道を主に利用し、仕事の調査を兼ねた行程でした。

  私は1990年代に鳥取の誇る秀峰・大山(だいせん)周辺の商工会へ特産品開発や地域づくりの指導によくマイカーで出掛けていました。  四季折々に単身で4輪駆動車を駆って中国道広島北ICから高速道、一般道を通り、大山が見える場所までやってくるとホッとしたものです。 

  そのため、1999年4月に当園が開園したのは当時知っていました。  しかし、当園は3年前の6月「ユリ」を観に家人と訪れて以来今回が2度目の訪問です。

当園の魅力は、天候や季節に左右されず一年中花が楽しめる、魅力あふれる施設の数々  P5270004
到着したら、直ぐに入園してレストランで昼食を摂りました。  普段、公園や登山などの際は弁当持参が常ですが、先日のTV放映で当園の食事メニューの紹介がありましたので、一度食べてみることにしたのです。

   昼食後、園内を見て回りました。   県立施設である当園の設置目的は「県民に花と緑あふれるいこいの場を提供するとともに、観光及び花き園芸の振興に資する」となっています(「県政情報」より)。 
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施設概要は、園内を一周する回廊(4隅に西館、北館、東館、南館)、シンボル施設のフラワードーム、花きセンター、レストラン、土産品、特産品直売所などがあります。

 〔ばらまつり開催中〕(期間:5月24日~6月13日) 
  本日の主な目的であるバラの花園は、園内に190品種・約1000株が栽培されています。  そのうち、オールドローズ、イングリッシュローズ、つるバラなど、およそ150品種・500株の花が咲き、バラの小径には約40品目・500株のハマナス系のバラ(ルゴサ)が咲くと、入園時に渡されたパンフレットにありました。
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余りの品種の多さに、花の名を知らない私は立ち止まって、品種の名札と現物との見比べで大変でした。    一方、駐車場(2台分)に占領されて狭くなった自宅の庭でバラ等を植栽している家人は、広いバラ園内を前後、左右に行き来しながら気に入ったバラの前で静かに鑑賞をしていました。

  バラ展に関蓮して、「バラの花束争奪大抽選会」、「バラに囲まれたコンサート」など多くのイベントが1回~数回開かれていました。   なお、園内では、同時期に当園初のクレマチス展を開いていました。 

 〔フラワードーム〕(当園のシンボル施設)  
  フラワードームは直径50m、高さ21mの円形ガラスドームの中に、普段見ることの出来ない珍しい樹木や南国の花々が一年中咲き乱れています。  

  中でも、ブーゲンビリアのアーチは「花の結婚式」の際にはヴァージンロードとして使われ、フラワーシャワーとともに、幸せな二人を祝福する場面になっているそうです。
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 フラワードームは外から眺めると角度によって秀峰・大山が借景になるので、格好の風景写真としても人気があります。 

〔ゆりまつり開催〕(期間:6月14日~7月6日) P5270018
当園のメインフラワーはユリで、年間で100品種以上のユリを1年中鑑賞できます。  園内では5月中旬から8月上旬にかけての“旬”の季節には、10万球ものユリが花を咲かせるそうです。

  当園では世界で現在確認されている原種ユリの半数近くの種類を植栽しており、原種ユリ展が来る6月14日~24日の間に開かれます。
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先日訪れた際に、ユリの原種の一つであるササユリが回廊の外周にある散策街道沿いの林の中に群生して、かれんな白い花を咲かせていました。  写真マニアらしい中年男性がササユリの囲いの中に侵入して座り込み、盛んにシャッターを切っていました。  ユリの花を単に“被写体”としか思わない不愉快な場面を目にしました。

▼当園のGW期間内の入園者数は県内観光施設でトップ 
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当園に到着して車を広大な駐車場に置き、入園ゲートを通り園内に入った際に、3年前に比べて入園者が増えているように感じました。 


P5270009 特に今回は老人福祉施設の入所者・通所者が団体で多く入園しており、身体の不自由な人は園内に用意された「フラワートレイン」(所要時間約20分で園内を一周する列車型連結自動車)に乗って、季節の花々や風景を楽しんでいました。   その他に業界の女性団体、中高年の夫婦・母娘や近隣グループ等も見かけました。

  帰宅後、鳥取県の主要観光施設等におけるGW(ゴールデンウィーク)期間中の観光入込客数(観光地を訪れた観光客数)をインターネットで検索してみました。

  結果は、今春のGW期間中(4月28日~5月6日の9日間)における当園の入園者数は約6万2千人(昨年11日間で約5万2千人)と約2割増で県内トップの集客数でした。 

  2位は「鳥取砂丘こどもの国」が約3万人(昨年約3万1千人)、3位は「水木しげる記念館」約3万人(昨年約3万2千人)でした。  鳥取県全体では今春が約23万8千人(昨年約22万人)でした。 

 資料:「ゴールデンウィーク期間中の主要観光施設等の入込客数について」鳥取県企画部広報課より
 
《追 補》 当園の指定管理者(管理代行)は財団法人鳥取県観光事業団(いわゆる県の外郭団体)で、指定期間は2006年4月から5年間となっています。 最近の指定管理者施設の指定期間は通常3~5年です。

 《ふるさとの地名俳句》【大山】
郭公(かっこう)や大山雲を寄せつけず   後藤 久子

P5270024 《季節の花俳句》【バラ】<花ことば>:愛…「NHK花ことば」より
薔薇よりも濡れつつ薔薇を剪りにけり  原田 青児 

※読者から「花のブログには花ことばと句歌を添えたら」とご助言がありましたので、以降はメインの地名句歌(俳句が主ですが)と併せて掲載します。 
  なお、花ことばは私も聴いています「NHKラジオ深夜便、誕生日の花」に拠ります。  

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2007年2月15日 (木)

■【寺院巡り】“山口お宝展”国宝瑠璃光寺五重塔特別公開を拝観(山口市)

◇雪舟没後500年記念行事の一環(主催:山口商工会議所山口お宝展実行委員会)
  近年、私は車中泊しながら、道の駅探訪の傍ら周辺の寺社巡りを家人と愉しんでいます。  04年は四国の道の駅探訪と四国八十八ヵ所(閏年の逆打ち)巡り、05年は近畿の道の駅探訪と高野山(前年の四国八十八ヵ所無事結願のお礼参り)、室生寺(女人高野)巡りをしました。  06年は山口県の国道191号沿いの道の駅探訪をしましたが、道の駅数が多くて一泊二日では時間不足のため、昨年は周辺の寺社巡りを省きました。
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そこで、今年は山口市内の道の駅探訪と近隣の寺社巡りを計画して、“山口お宝展”(期間:19年1月19日~2月18日)の開催に合わせて、2月中旬に家人と車で暖冬の中国自動車道を利用して日帰り訪問しました。 
  今回の“山口お宝展”は山口市内の山口サビエル記念聖堂、中原中也記念館、常栄寺雪舟庭など、17ヵ所で一挙公開されますが、私たちは国宝瑠璃光寺五重塔の特別公開拝観に絞って訪れました。  当日(土曜日)は大勢の拝観者が訪れて、寺院、五重塔、庭園、資料館などを拝観していました。
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曹洞宗保寧山瑠璃光寺の五重塔は、応永の乱(大内氏の勢力のこれ以上の増大を怖れた将軍将軍義光との間での戦乱)で戦死した25代義弘の菩提を弔うため、弟の26代盛見が1442年に建立したもので、大内氏盛時の最大の文化遺構であり、大内文化の最大の華ともいわれています。

この塔は、全国に現存する40基の五重塔のうちで10番目に古く、その美しさは奈良・法隆寺、京都・醍醐寺と並び、日本3名塔と呼ばれています。  塔の高さは31.2m、屋根は桧皮葺で、各層とも軒の出が深く屋根の勾配はゆるやかで、形状の優美なことで有名です。  内部には阿弥陀如来像、大内義弘のブロンズ像等が納められており、特別公開期間中は正面、左側、裏面、右側の四方の扉が開け放たれて塔の内部が観れました。
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瑠璃光寺は大内氏第一の重臣であった陶弘房が1468年、応仁の乱で京都の相国寺で戦死したので、その夫人が夫の菩提を弔うため、山口の奥地仁保に1471年安養寺を建立しました。  後に寺領が狭いため隣山に寺を建て、安養寺を廃して保寧山瑠璃光寺と号しました。 その後、寺名の変更などを経て1690年に再び瑠璃光寺の名に戻り、現在地(大内義弘が建立した香積寺の地所)に移されました。
011 寺宝としては安芸洞雲寺から寄贈された「正法眼蔵」の写本があり、「正法眼蔵」の完備したものとしては日本最古の写本とされています。  
出典:(財)山口観光コンベンション協会ほかの観光資料より
 
《ふるさと短歌》 【瑠璃光寺】
はつ夏の山のなかなるふる寺の古塔のもとに立てる旅人
若山牧水
※1907年、牧水が瑠璃光寺を訪れた時に詠んだ歌。

   
 
  

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2006年11月 9日 (木)

■【景勝地】広島県北の主な紅葉名所(唯称庵跡のカエデ林、道後山、吾妻山)を車で早駆け探勝

◇中国山地の例年より1週間遅れの“紅葉最前線”に初雪到来(広島県北地方)
 11月8日午前のTVは「8日早朝、各地でこの秋一番の冷え込みとなった」と伝えていましたが、私は前日7日に広島県北の主な紅葉名所4か所を一日で回るため家人と二人で車で出かけて、予期せぬ寒風や初雪に遭遇しました。  結局、3か所しか回れませんでしたが、以下はその早駆け探勝記です。

1 県天然記念物指定カエデ林の名所「唯称庵跡」(安芸高田市甲田町)を訪ねる 
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5日の日曜日、国道54号沿いの広島県三次市内へ所用のため一人車で出かけた際に、カエデ林の色づき具合を知りたくて唯称庵跡へ立ち寄りました。   
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  5日は唯称庵跡へ朝9時半ごろ着きましたが、早くから交通整理のガードマンや売店を出している地元地域振興会の人々が出迎えてくれました。 
  昔から三次盆地(国道54号沿いでは三次市、安芸高田市一帯)は秋から冬にかけて、三次盆地特有の深い朝霧に包まれて道路も視界不良になります。  カエデ林の後ろの五龍山には朝霧が立ち込めていました。

Dsc00233   史跡五龍城跡の山麓を流れる本村川岸にある約40本のカエデ林(イロハモミジ、一部ヤマモミジ)は紅葉はまだ一部だけでした。  テント内の売店女性が「紅葉の見ごろは次の土・日ごろ」と答えてくれましたので、近日中に再訪を予定して数枚の写真を撮り次の目的地へ向かいました。
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  付言しますと、現在の唯称庵跡カエデ林の所有者は、湧永薬品株式会社(9月掲載の湧永満之記念庭園を所有する湧永製薬株式会社の関連企業)で、二つの施設は3kmの至近距離にあります。  5日には唯称庵跡駐車場に「湧永満之記念庭園の開園は12日まで」と張り紙がしてありました。 残り少ない今年最後の記念庭園開園です。

   さて、2日後の7日にカエデ林を再訪しましたが、混雑する土、日と違って朝10時には私の車の他にわずか1台(一人乗車)駐車していだけで売店は休業中でした。 残念ながら、紅葉はまだ十分ではありませんでした。 その上、7日は朝から寒風が強くて地内を散策する家人と私は寒さで震え上がり、早々に次の道後山へと車を走らせました。 

《唯称庵(ゆいしょうあん)跡のカエデ林》 ※同名のホームペジあり。  他に、本ブログ05年11月に当カエデ林の探訪記掲載。
 

2 比婆帝釈国定公園の東に位置する雄峰「道後山」(庄原市西城町)を訪ねる 
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  道後山(標高1269m)は去る7月に訪れて本ブログに掲載していますが、最近は秋の紅葉時期に訪れたことがないので立ち寄りました。
 三次市から国道183号を走って鳥取県境に近い庄原市西城町で右折すれば道後山へ続く道になります。 山の家や民宿などの高台横を抜けてスキー場のリフト沿いに登りますと、なだらかな草原の月見が丘駐車場(標高1088m)に着きます。
  なお、添付写真の月見が丘駐車場の後ろに見える山は岩樋山(標高1271m)で、比婆帝釈国定公園の東へ別に位置している道後山山頂は、牧歌的な草尾根を縦走したササ原の先にあります。
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  昼前に月見が丘駐車場へ車で登る途中、道路右側の日陰にある群生した熊笹の葉に何か白いものが付着していました。 助手席の家人が見て「雪よ」と声を上げました。 朝の唯称庵跡のカエデ林では寒風が吹きましたが、道後山の中腹ではとうとう初雪が降ったのです。 月見が丘駐車場に車を停めて車外に出ますと、日陰のあちこちに雪が残っており、よく見ると道後山案内板の支柱付近の芝生にも雪が残っていました。 
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  その寒さの中を、隣りに駐車した中年夫婦は私たちに挨拶しながら、登山の装備を付けて元気に頂上登山に向かいました。  私たちはたたら製鉄に使う炭を得るために天然林がほとんど伐採されて草原状になっている駐車場周辺で、晩秋の草花を探しやっと寒風にそよぐマツムシソウ1輪を見つけました。 私たちには道後山での今年最後の花1輪でした。 残念ながら紅葉の見ごろは次の土・日以降になりそうです。 

《道後山(どうごやま)》※同名のホームページあり。他に、本ブログ06年7月に当山の探勝記事掲載。


3 花々に彩られる神話と伝説の「吾妻山」(庄原市比和町)を訪ねる 
  前出の道後山から降りて、同じ西城町内から周辺市町に隣接する比婆山連峰(連峰最高峰の立烏帽子山1299mから比婆山1269m、吾妻山1239m、烏帽子山1225m)など名山の群立する山々のうちで、これまで車でよく訪れている比婆山へ向かいましたが、いつも通る国道183号からの入り口が9月の13号台風の大雨被害による通行止めで通れません。  やむを得ず比婆山行きは諦めて隣接する吾妻山を別ルートから訪れました。
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 標高1239mの小高い山に付けられた名前の「吾妻」は、古代神話に出てくるイザナギノミコトが隣の比婆山に眠る妻のイザナミノミコトのことを思い、山頂から「吾が妻よ」と偲んだことが由来とされています。
 山の中腹にあるいつも停める休暇村「吾妻山」の駐車場に着き、遅い手製の昼食を摂ってから休暇村横の登山道を登りました。  吾妻山は道後山と同様に天然林が伐採された後、かつては牛の放牧がされていたために草原になっています。 ここも紅葉の見ごろは道後山と同様に次の土・日曜以降になりそうです。
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  休暇村裏には原池、ひょうたん池、大池の3つの池がありますが、登山道に近い原池の手前で寒風をものともせず咲いたリンドウの蕾2輪を見つけました。  蕾の周りの草の葉に付いている白い粒状は午前中に降った初雪の溶け残りです。
  その周りにはすでに立ち枯れたリンドウが数多く散在しており、このリンドウの蕾2輪が吾妻山の今年最後の花になりました。 
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  しかし、吾妻山は厚い雲が一面に上空を覆い、寒風が強くて長居は無理で早々に下山しました。 立ち寄った休暇村で報道記者が初雪の取材をしていました。
  駐車場を出ようとして車のエンジンをかけた時、これまで曇っていた上空から太陽が一時顔を出したので、眼の前にある天然林の紅葉風景をカメラに収めて帰宅しました。 

≪コーヒー・ブレイク≫【紅葉や黄葉が進む条件】一日の最低気温が8度以下の日が続くと色づき始め、さらに5度以下になると一気に進む。出典:毎日新聞社会ニュース06.11.11~<晩秋>「紅葉最前線」色づき1週間程度…落葉早めも~ 

《吾妻山(あづまやま)》 ※同名のホームページあり

《休暇村 吾妻山》 吾妻山中腹にあり、登山者の集合場所、駐車場としても利用 ※同名の公式ホームページあり。 吾妻山の自然、楽しみ方の紹介ページあり。 
  

《ふるさと地名俳句》 【吾妻山】
松虫草もっとも咲ける辺に憩ふ   堀江清子
 

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2006年9月18日 (月)

■【万葉公園】万葉歌人、柿本人麿ゆかりの万葉公園に立ち寄り(島根県立万葉公園)

◆万葉のロマンと郷土芸能に接する知的レクリェーションの場(島根県益田市)
  8月下旬、益田市の島根県立石見美術館で「森鴎外と美術」展を家人と観た帰りに、市内の島根県立万葉公園へ久しぶりに立ち寄りました。
  当園は県立都市公園として、柿本人麿(注①)にゆかりの深い益田市に、万葉のロマンを広く世に伝え、また、石見神楽などの郷土芸能に接する知的レクリェーションの場として、1982年に開園した施設です。
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 当園は、724年に市内鴨島で死没(異説もあり)したと伝えられる、人麿の霊を祀る高津柿本神社(注②)と県立自然公園の蟠竜湖に接する高台一帯に設けられています。

  園内には万葉集に詠まれた160種の植物のうち、植栽可能な153種類が植えられている万葉植物公園、人麿の歌を刻んだ歌碑のある人麿展望広場、人麿や万葉集に関する資料が展示してある和風休憩所、石見神楽など郷土芸能を上演するための和風野外音楽堂などがあります。

  今回は、昨年改修した人麿展望広場の人麿の歌碑群を観るために立ち寄りました。当園に着くとほぼ中央にある中央駐車場の木陰で昼食を摂りました。 食後は昼休みを利用して市内の職場を抜け出し、公園駐車場で車内仮眠している人々に混じって、私たちも全部のドアを空けて暫し憩いのひと時を過ごしました。 高木の木陰がある公園内の3か所の無料駐車場は、夏の昼間には格好の避暑仮眠場になるようです。
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  一休みした後、正面口駐車場へ車を移動して、そこからかんかん日照りの中を歩いて人麿展望広場へ上がりました。 当広場には人麿や地域にゆかりのある歌の中から、人麿が宮廷歌人として大和や旅先で詠んだ歌17首、石見を中心に詠んだ歌18首(「小倉百人一首」1首、人麿研究者の万葉仮名1首及び他の作者の歌を含む)の合計35首が、歌碑として県産の福光石に彫り込んで建立してあります。

  人麿の作品は『万葉集』に長歌16首、短歌66首があります。皇室関係の歌が多くその大部分は長歌であり、また叙景歌に優れていました。 当広場の歌碑にも長歌が刻まれています。(写真の歌碑「つのさはふ 石見の海の 言さへく…」<巻2-135>は、人麿が石見の国から妻に別れて上京のときの長歌)    
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  私たち夫婦は正岡子規以来の写生主義と『万葉集』を理想とした、いわゆる<アララギ>同人の斎藤茂吉や中村憲吉(広島県人)らの歌が好きで、茂吉、憲吉に親近感を持っていますので、“万葉集の代表的歌人”である人麿には格別の尊敬の念を抱いています。  

  私が高校生のころ、斎藤茂吉著『万葉秀歌』(岩波新書)を同級生の3歳上の兄上から借りて、人麿や山部赤人などの歌をむさぼるように読んだことを、つい昨日のように鮮やかに覚えています。 家人も高校時代から万葉集に興味があったことは、見合結婚後二人で生活するようになって知りました。

   これまでに全国で約40か所以上ある万葉公園や万葉植物園を、まだ奈良県下、島根県下など数県しか訪れていませんが、私たちは“万葉集フアン”&“茂吉フアン” としても車旅をしています。

  和歌や短歌に関心のある方は、山陰を訪れたらぜひ当万葉公園にお立ち寄りをお勧めします。

 
注①【柿本人麿】(かきのもと・ひとまろ)  別称は「人麻呂」。※本稿では地元自治体が使用する「人麿」の表記に拠った。
 持統・文部天皇の治世(689~707)に活躍した「万葉集」の代表的歌人。生没年、終焉地などその生涯は多くの謎に包まれている。
 「地元では『人丸』とも呼んでいますが、これが読み方によって「人生まる」とも「火止まる」ともなることから、開運、火難除け、商売繁盛、安産の神様として人々の信仰を集めています。 また、元来が歌聖であることから学業成就を願う学生も多く、人麿を偲ぶ参拝客は跡を絶ちません。」(指定管理者:大畑建設株式会社のHPから引用)
 このように、石見の人の心には今でも人麿伝承が根強く息づいている。  

②【高津柿本神社】  益田市内には、柿本人麿の出生と死没にまつわる伝承が残り、出生地の「戸田柿本神社」と終焉地の「高津柿本神社」とがある。
 「柿本神社の祭神は柿本人麿で、その起源は人麿の終焉地鴨島に勅命により建立された社殿といわれています。」(指定管理者:大畑建設株式会社のHPから引用) 
 人麿の霊を祀る社は当初、市内の鴨島に建っていたが、1026年の津波で海中に没したため高津松崎に移築した。その後、1681年に現在地に移築された経緯がある。 

《引用HP》
 http://www.ohata.co.jp/990882.htm
『特集柿本人麿ー柿本神社』 ※大畑建設株式会社=当万葉公園管理センターの指定管理者です。

《島根県立万葉公園管理センター》 
◇所在地:島根県益田市高津町イ2402-1
◇電 話:0856-22-2133 

《ふるさとの地名俳句》【戸田柿本神社】
   万緑に抱かれ人麿遺髪塚  楢崎 六花

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