2009年12月26日 (土)

■【美術館巡り】千鳥が淵公園に近い三番町から'09年10月に都内有数の文教地区広尾へ移転の「山種美術館」を訪ねて(東京都渋谷区)~8年前まで私が上京時に一番多く通った美術館が新生された~

新美術館は創設者・山崎種二氏の思いでもある「美術を通じて社会、特に文化のために貢献する」という理念を継承しつつ、さらに多くの方々に楽しんでいただける美術館を目指す

P1010503_2   11月中旬の日曜日午後、、去る10月1日渋谷区広尾3丁目に新築移転した山種美術館(以下、当館と略する)へ、三番町旧美術館最後の訪問から約8年ぶりに一人で足を運びました。

  かつて私は、所属していた経営コンサルタントの社団法人全国組織(本部:千代田区)の本部役員を兼任で務めることになり、1995年春から最初の4年間は2か月に1回、続く2年間は1か月に2~4回理事会等で上京し、いつも地下鉄麹町駅で下車していました。

  たしか1998年の秋ごろだったと思いますが、上京して会議の前の空き時間に初めて千鳥が淵公園周辺を散策したところ、当時の山種美術館前に差しかかり、ふらりと入館しました。

  それまで私の年間数回の都内での美術鑑賞は、専ら上野公園内の美術館、博物館でした。

  当館は1996年、日本初の日本画専門の美術館として日本橋兜町に開館し、1998年夏に3番町に移転したことは、数回入館した後で館員から聞きました。 

  その後、約3年間に当館へ年3~4回通いました。 '01年6月に所属していた社団法人の役員を任期満了で退任してから今日まで、年に何度か仕事や会議で上京しながら、都内での美術鑑賞の機会がありませんでした。

  今回は8年ぶりの当館訪問でしたし場所を移転していますので、事前にホームページで場所や展覧会の内容等を確認して訪れました。※写真はクリックすると拡大できます。

P1010502   当日はすでに新美術館会館記念特別展「速水御舟~日本画への挑戦」(会期:10月1日~11月29日)と題して、会期も終わりを迎えていました。 移転後初めての鑑賞ですから、JR恵比寿駅から徒歩(所要時間で新美術館へ向かいました(所要時間10分)。

  歩きながら、当館への通りを往来する人が日曜日の午後なのにやや多い感じなので、初めは「大型小売店か有名小売店がこの通りにあるのかな」と思っていました。 しかし、歩行者が手に持っていたチラシやリーフレットあるいは会話内容で、殆どの人が当美術館利用者と分かりました。

P1010498  入館してびっくりしたのは、写真でご覧のように受付、喫茶などの場所が大混雑していることでした。 地下に位置する展示室は、企画展示室、常設展示室と合わせて、三番町の旧美術館の約2倍のスペース(約650㎡)があるそうで、旧館に比べて全体がゆったりとした感じでした。

  美術館では当たり前のことですが、展示品は一般者が撮影できません。 ご関心のある方は当館ホームページで作品目録、作品の解説等をご覧ください。

  今回の展示作品138点の中で、個人所蔵はわずか21点で、残りはすべて当館所蔵と作品目録で知りました。当館が別名「御舟美術館」と親しまれていることは、寡聞にして初めて知りました。

P1010505_3   当館からJR恵比寿方面へ向かう通りには、ご覧の巨大な立像が近くのビルの一角に設置してあります。

P1010506  同じ通りや道路向かい側の通路には、喫茶店、レストランが数店営業しており、最近は美術鑑賞帰りの家族連れやグループの“溜り場”となっているようです。

《山種美術館》
所在地:〒150-0012 渋谷区広尾3-12-36
電  話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
アクセス:徒歩または都バス
駐車場:一般駐車場なし

《季節の花の短歌》【フユベゴニア】別名:クリスマス・ベゴニア(シュウカイドウ科)
  ひめやかな片思いなどありまして フユベゴニアを育てています  鳥海 昭子
〔花言葉〕愛の告白 〔出典〕NHKラジオ深夜便『誕生日の花と短歌365日』(12月26日)

                                          

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2009年11月23日 (月)

【美術館巡り】秋季特別展~故竹内弘之理事長を偲んで~「近代日本画壇の巨匠“横山大観と小林古径・安田靫彦・前田青邨4人展”」を観に(広島県呉市下蒲刈町「三之瀬御本陣芸術文化館」)

◆(財)蘭島文化振興財団平成21年度秋季特別展~去る6月に急逝された故竹内弘之理事長を偲んで~開催
♣はじめに
  11月上旬訪問した下蒲刈町(平成15年3月呉市に合併)は、古い歴史と文化に支えられ、豊かな自然の中で育まれた由緒ある町です。

021  古来より内海交通の要衝(海の駅「海(かい)駅」に指定)として栄え、江戸時代には外交使節団「朝鮮通信使」が寄港したゆかりの史跡でもあります※写真は御番所跡の掲示板。クリックすると拡大できます。

♣他の自治体では前例のない“全島庭園化構想”の実現
013    平成3年6月、当時の安芸郡下蒲刈町において他の自治体では前例のない「全島庭園化構想(ガーデンアイランド構想)」が策定され、この構想に基づき、同年10月蘭島閣美術館を初めとし、蘭島閣美術館別館、三之瀬御本陣芸術文化館などの各種文化施設が次々と完成しました。

   特に石畳の散策ロードのある三之瀬地区は、これらの文化施設が10施設も集中しています。
※写真は10施設のうちの一つ「松濤園」(注:①)。

♣故竹内弘之理事長(元下蒲刈町長)との出会いと別れ
 私が下蒲刈町(当町と略する)を初めて仕事で訪れたのは昭和60年代でした。 当時、広島県では昭和58年から「広島ふるさと一品運動」(昭和54年、大分県平松知事によって提唱された「一村一品運動」の広島県版)を官民挙げて推進しており、私はそのコンサルタント(約10名)の一員として経営部門を担当し、県下の各市町村へ啓発講演、現地指導等に出向いていました。

   当時、県から要請があって当町における特産品開発グループの講習会講師として訪問しました。 その頃は、まだ下蒲刈島と本土を結ぶ橋(現安芸灘大橋)が架かってなく、離島のため案内役の県職員とフエリーに乗って訪れました。
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その際、町役場で当時の竹内弘之町長(注:②)に初めてお目にかかりました。  竹内町長は町民の特産品開発を支援するため、特産品加工室を建設するなど“ふるさと一品運動”に協力的でした。   帰宅後、竹内町長が私と大学の同窓と知り、以降は特に親しみを感じました。 ※写真は下蒲刈特産品直売所「海(かい)駅『三之関』」

   その後、当町の全島庭園化構想が実現し、私は家人と当町の美術館等をたびたび訪れるようになりました。特に平成12年1月、本土と下蒲刈島の間に安芸灘大橋が開通してからは、車で下蒲刈町の美術館等へ行けるようになり、往来が大変便利になりました。

   竹内町長は下蒲刈町が呉市に合併して町長を退任された後、財団法人蘭島文化振興財団理事長として、自らが7期27年の長きにわたり地域住民と一体となって実現された、“地域の歴史・芸術文化・風土を生かした島おこし”の集大成を行うべく引き続き推進されました。

    私は竹内弘之氏の町長ご在任中は1度表敬訪問しただけですが、財団理事長になられてから訪問した際、理事長室に招かれて歓談しました。 

    理事長を囲んで同行者も一緒に記念写真を撮らせていただいた想い出があります。 その後も、特別展等を観に訪れた際、館内で数回お目にかかりました。  

   私が竹内理事長のお姿を館内で最後に拝見したのは昨年6月中旬でした。  ちょうど、特別展「近代日本画壇の巨匠・東山魁夷とその周辺」を同行者数名と観に行った時です。 

   当日、特別展を鑑賞して美術館を退出しようとした際、同じフロアの片隅で来訪者と話をしておられる竹内理事長のお姿が見えました。 

   その時、、こちらは同行者と次の訪問先への時間を急いでいましたので、お声もかけずに退出しました。

   今にして思えば、「理事長と相手とのお話が終わるのをお待ちして、一言ご挨拶すればよかった」と悔やんでいます。 謹んで故竹内理事長のご冥福をお祈りします。  

秋季特別展~故竹内弘之理事長を偲んで~日本近代画壇の巨匠「横山大観と小林古径・安田靫彦・前田青邨4人展」(21.9.15~11.17)を観て
010    当館の特別展は平成13年から始まり、16年からは毎年春と秋、2回の特別展を開催しています。 最近、私は主にこの特別展を観に行っています。

  今回の特別展案内には、「我が国近代の日本画壇に傑出した足跡を残した日本美術院を代表する大観、古径、靫彦、青邨の4人の日本画家は、伝統絵画を基本としながら近現代の日本画界に変化と革新をもたらすなど、常に画壇を牽引しました。

  本展覧会では、これら4人の傑出した画家の秀作を一堂に展示し、広く鑑賞の用に供することにより、地域の振興及び文化の向上に資します」(当館ホームページより)とありました。

   また、展示品目録には、今回は当館の所蔵品の他に、広島県内の廿日市市役所所蔵品3点、同市立はつかいち美術ギャラリー所蔵品1点や個人所蔵家の所蔵品が記載されていました。
 
   特に、「(個人所蔵家が)名前を秘すことを条件に、大観、古径、靫彦、青邨の蘭島美術館への貸し出しを許可してくださった」と図録に特記してありました。 この一文で、個人所蔵家が当館や故竹内理事長を信頼しての好意を感じました。

   故竹内理事長は、本特別展準備の統括に携わられていて急逝されたと美術館関係者から聞きました。 会場内で画家4人の作品を鑑賞しながら、改めて竹内理事長とのこれまでの出会いの感慨にふけりました。

注:① 松濤(しょうとう)園
 朝鮮通信使資料館・陶磁器館・あかりの館・蒲刈島御番所の4棟と鑑賞式庭園がある。
注:② 故竹内弘之(たけうち・ひろゆき)氏略歴~図録から抜粋
 昭和10年8月27日下蒲刈町生まれ。昭和33年中央大学卒業。昭和51年下蒲刈町長就任。平成15年呉市との合併で下蒲刈町長退任。平成15年財団法人蘭島文化振興財団理事長就任。平成21年6月14日永眠(享年73)。
《観光案内》
ホームページ「観光スポット(下蒲刈)」
《美術館3館》
ホームページ「財団法人蘭島文化振興財団」
《蘭島(下蒲刈島)の語源となった春蘭の俳句》 【春蘭】(ラン科)
  春蘭や雨をふくみて薄みどり  杉田 久女
〔花言葉〕飾らない心   出典:NHKラジオ深夜便『誕生日の花ときょうの一句』

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2009年9月14日 (月)

■【美術館巡り】9月中旬、江戸時代の庶民の信仰の系譜、木彫りの仏像・神像の行脚僧「円空・木喰展」を観に行きました(広島県三次市「奥田元宗・小由女美術館」)

◆仏への信仰と庶民の救済を願いつつ、都を離れ地方を巡る行脚僧として布教活動をしながら、何百、何千体もの仏像や神像を彫り歩いた円空(えんくう)と木喰(もくじき)の作品を鑑賞
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   円空(1632年ー1695年)と木喰(1718年ー1810年)の名はその死後暫く忘れ去られ、20世紀になって、地方の寺社に残されていた二人の木像に魅せられた研究者や美術作家らによって、その業績が掘り起こされたといわれています。

  本展覧会では円空と木喰の仏像や神像、約200体が展示してありました。 円空仏はゴツゴツとした野性味に溢れながらも、不可思議な微笑をたたえていることが特徴で、一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てています。

   一方、木喰の作風はノミの跡も生々しい型破りな様式ですが、円空の荒削りで野生的な作風「円空仏」に比べると、木喰は微笑を浮かべた温和な「微笑仏」と呼ばれるが仏像が多いのが特色です。 今回は二人の作品を同時に鑑賞できる機会に恵まれました。

081_4   円空は江戸時代前期の天台宗の僧侶であり、生涯に12万体の仏像を彫ったといわれ、飛騨、美濃地方の各地に円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が多く残されています。

  これに対して、日本全国におびただしい数の遺品が残る「木喰仏」の作者である木喰は、22歳で出家し、56歳の時から日本全国を旅していますが、像を彫り始めたのは60歳を過ぎてからでした。 

  木喰は全国各地を放浪する中で、庶民の願いに応じて数多くの仏像を製作しました。 80歳に1000体、90歳に2000体もの仏像を発願し、現在それらのうち600余体が確認されています。

   これらの現存する貴重な木彫作品が大切に保存され、焼失などで失われることなく後世に伝えられるよう願っています。

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023  「円空・木喰展」鑑賞後は、本ブログにもたびたび登場する同じ三次市内の隣町(三良坂町)にある佐々木豆腐店(奥田元宋・小由女美術館から車で約10分)へ昼食を摂りに行きました。

  正午前に着きましたが、すでに女性グループや家族連れに座席(約30席)が占められており、私たち3人はレジ横の待機場所でしばらく待ちました。  当店の昼定食は11時~15時ですが、人気の「月替わり定食」(数量限定)を食べようとするお客が、早くから来店するようです。 私たちは別の豆腐定食を食べました。

〔会期 ~10月25日(日)〕※休館日:10月14日(水)

《奥田元宋・小由女美術館》 
●住 所:〒728-0023 広島県三次市東酒屋町453-6 
  ※中国自動車道三次ICから車で約3分
●電 話:0824-65-0010  

《(有)佐々木豆腐店》
●住 所:広島県三次市三良坂町三良坂2610-16(R184号沿い) 
●電 話:0824-44-2662 
●定休日:毎週月曜日、月1回日曜日(不定休)
●URL http://sasaki102.com

《ふるさとの地名俳句》【三次(みよし)雛人形】
  目尻に素秋のかげを三次雛  福島  勲

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2009年8月 3日 (月)

■【文学碑巡り】人生の約三分の一を旅人として過ごした歌人・若山牧水の全国唯一「父(牧水)・母・子」3人の歌碑が1か所に建つ「牧水ニ本松公園」を訪ねて(岡山県新見市哲西町)

◆1907年(明治40年)7月、早稲田大学の学生であった若山牧水が、夏休みに郷里宮崎県への帰途、中国路を旅して、備中・備後の国境(くにさかい)の二本松峠に当時あった峠茶屋へ泊まり、短歌「幾山河こえさりゆかば…」ほか1首を詠んだのを記念し設立した公園

107  〔はじめに〕 中国自動車道東城ICからJR芸備線とほぼ平行している国道182号を岡山県新見市方面へ約5分走ると、広島、岡山県境の標識があり、県境の二本松峠から公園の案内標識に沿って左折して入ると牧水二本松公園があります。
  牧水二本松公園のある江戸時代の旧道の県境には、今も備中・備後の国境を示す石柱が立っています。    かつて、石柱の傍には樹齢150年の“国境の松”が立っていましたが、1990年秋に枯れてしまいました。
   
2_100_2  〔歌碑建立の経緯〕 明治から昭和初期の歌人・若山牧水(1885-1928)が宿泊した当時の峠茶屋「福田屋」は、1994年に復元して公園内に牧水やその家族の歌碑とともに建っています。
   牧水は福田屋に泊まり、道中の作歌「幾山河こえさりゆかばさびしさの はてなむ国ぞけふも旅ゆく」他をハガキにしたためて、学友有本芳水へ送ったといわれています。 
  
095_3   牧水が亡くなった翌年の1929年秋、沼津の千本浜公園に、最初の「幾山河こえさりゆかばさびしさの はてなむ国ぞけふも旅ゆく」の歌碑が建立されました。
  当哲西町の牧水二本松公園「幾山河…」の歌碑は1964年の建立で、牧水の碑としては42番目だそうです。  「幾山河…」の歌碑数は275基(1996年現在)確認されています。

098 1964年「幾山河…」の歌碑序幕のとき、喜志子夫人から歌碑建立の喜びの声の録音テープとともに送られた2首の歌が披露されました。
 「あくがれの旅路ゆきつつ此処にやどり この石文の歌は残しし」(歌碑表)
 「うつそ身の老いのかなしさうらめしさ ただ居つ起ちつ志のぶばかりぞ」(歌碑裏)
  この2首の歌は1974年、牧水の歌碑の隣に歌碑を建立・序幕されました。  

097_2   喜志子夫人の歌碑除幕式に列席した牧水の長男旅人氏が、貴志子夫人の歌碑に献じた歌1首は次のとおりです。
 「若くしてゆきにし夫のかたはらに 永久の睦みをよろこばむ母は」(歌碑は1977年建立)
 若山家「父・母・子」の三つの歌碑が、同一場所に立てられたのは、これが初めてということです。

 〔おわりに〕 牧水の「幾山河…」は高校の日本文学で習ってから、郷土(広島県三次市出身)の歌人・中村憲吉とともに親しみを感じ、30代前半に入門した詩吟教室で愛唱した歌です。

  その後、旅が多い現在の仕事(別欄プロフィールご参照)に転進しましたので、今では“人生の三分の一を旅人として過ごした牧水”に特別の親しみを感じています。

  長年、マイカー(現在はキャンピングカー仕様の1BOX4WD車)を利用して仕事や趣味に各地へ出かけるようになり、R182号の二本松峠を通る際はその都度、牧水歌碑に立ち寄っています。 

  '07年に牧水が二本松峠を越えてから100年目を記念して、これまで狭かった歌碑設置場所が、広い公園に拡張・整備されました。 今回、私は整備後初めて訪れました。  

  牧水が二本松峠で詠んだ他の1首「けふもまたこころの鉦をうち鳴らし うち鳴らしつつあくがれてゆく」の歌碑が、100年ぶりに「幾山河…」と同じ公園内へ'07年に'建立されました。

《問い合わせ》
・道の駅「鯉が窪」 電話0867-94-9017(木曜・定休日)

《資料》
・新見市役所HP観光情報
・『道の駅鯉が窪』リーフレットほか

《ふるさとの地名俳句》【二本松峠牧水歌碑】
 牧水の越えし峠の露の歌碑  一瀬 あやめ


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2009年7月 8日 (水)

■【美術館巡り】開館10周年記念展「フランス絵画の19世紀」鑑賞&「日本の夕日百選」指定の宍道湖畔に佇む夕日を眺望(松江市「島根県立美術館」)

◆ルーブル、オルセーなど著名美術館や米国、スペインなど約40館の大作絵画などを鑑賞し、併せて美術館内のガラス越しに見える宍道湖畔の昼景色及び茜色に染まる湖畔の夕日の佇まいを館内外から眺望

  5月中旬、午前中からの出雲市内における神仏霊場巡り(須佐神社、長浜神社、日御碕神社、出雲大社、計4神社)を私たち3人は早めに切り上げ、午後4時前に本日の主目的である松江市の島根県立美術館へ向かいました。

  当館へは10年前の開館当初に、私たち夫婦は美術鑑賞に訪れたことはありますが、当時から家人が望んでいた茜色に染まる夕日を、美術館内外から眺めるのは初めてです。

090514_0063 まず始めに「フランス絵画の19世紀」展を鑑賞しました。  本展覧会は当館開館10周年記念展として、去る3月6日から5月31日まで開催されました。 ※ブログの写真はクリックすれば拡大できます

  アカデミスムと印象派の二つの潮流から19世紀フランス絵画の100年を紹介したものですが、ルーブル、オルセーなど国内外約40美術館の珠玉のコレクション約80点が展示されており、見応えのある内容でした。 

期間中の入館者数が、歴代2位の80,944人で、10年前の開館記念展「水の物語」109,906人に次ぐ入館者数だったそうです(6月1日当美術館発表)。

090514_0071 本リーフレットは当館の「展覧会案内」でして、当館の展覧会スケジュール、館内施設の概要が掲載されています。

  当館の特色については、「景色そのものがアート」(宍道湖畔に位置し、ガラス張りの開放感あるロビーから見える景色そのものがアートとなり、訪れる人々を愉しませます)、「水と調和する美術館」(水辺の美術館ならではの視点で、水をモチーフとした作品を多くコレクションし、年間を通してこれらの作品をご覧いただけます)と紹介してありました。

0905140031 当館では美術作品の一部を館外に展示して、誰もが野外作品と宍道湖を始めとする自然との調和を眺めたり、作品に直に触れる場を提供しています。
 
  館外の湖畔水辺に設置してある兎のブロンズ彫像《宍道湖うさぎ》は、縁結びの象徴として近年人気を呼んでいるそうです。 当館の野外彫刻は皆で8つの彫刻が配置されていて、湖畔の散策者の楽しみでもあります。

0905140043  当日の夕刻、湖畔で私が夕日の撮影場所を事前にカメラを構えて位置決めしている時、華やいだ雰囲気のグループがやってきました。
 
  近いうちに結婚式を挙げる新郎、新婦の当事者とその友人たちが、披露宴の際に放映したり、記念アルバムに載せるシーンを撮影するようでした。  

0905140038  私が館外の土手から、遠くの水辺ににある《宍道湖うさぎ》を望遠レンズで撮ろうとした時、その場所にカップルと仲間が移動してきました。
  かなり撮影時間がかかりそうなので、無粋な声掛けをせずにそのまま撮影しました。 

 そこで、当日その場に居合わせた者として、遅くなりましたが 

 《夢みたものは ひとつの幸福/ねがったものはひとつの愛/それらはすべてここに ある と》
                                立原 道造 『夢みたものは……』の詩の一節を贈ります。

090514_0046  さて話題が変わりますが、宍道湖の夕日眺望については、当館も粋な計らいをこの10年間(これからも)続行中です。

  それは、例年3月から9月までは閉館時間(10月~2月は午後6時30分)を、日没後30分まで伸ばして、入館者が館内外から宍道湖の夕日を眺められるように取り計らっています(展示室への入場は閉館時刻の30分前まで)。

  入館当日は日没が午後7時過ぎでしたので、日没まで夕日が宍道湖面に沈む光景を館内外からゆっくり堪能し、カメラに収めました。

090514_0055   おかげ様で、私は今年度で経営コンサルタント歴40年目になりました。  駆け出しの頃は中国、四国、九州が活動エリアでした。 当初から松江市内の仕事もあり、宍道湖に映える夕日は市内の宿などから眺めたものでした。
 
  出雲国霊場巡りと島根県立美術館に立ち寄った、強行軍の日の夕食は遅くなりました。 午後8時半頃になってようやくマイカーで帰路のR54号沿い「道の駅掛合の里」で、出雲そば(昼食も同じ)を閉店間際に食べました。

《島根県立美術館》
●住 所:〒690-0049 松江市袖師町1-5
●電 話:0852-55-4700(代)
●H  P:島根県立美術館

《ふるさとの地名俳句》【宍道湖の夕日】
 宍道湖へ日輪たぎりつつ沈む  中村 苑子   

  

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2009年5月 9日 (土)

■【美術館巡り】書画・陶芸と美食の全貌「没後50年北大路魯山人展」を観に(広島県ふくやま美術館ほか)

篆刻家、画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家、美食家など様々な顔を持つ美と食の巨人の魅力

♣ 書家として出発した魯山人
  北大路魯山人(1883-1959年)の初期から晩年までの約250点を集めた「没後50年北大路魯山人展」が、ふくやま美術館と、ふくやま書道美術館で、4月4日(土)から5月17日(日)まで開催中です。 
 4月下旬の平日、会場の福山市まで主に山陽自動車道を利用して出かけました。 近年、当美術館および書道美術館の2館へは、マイカーで年1~2回訪れています。 

001  魯山人の芸術の原点は書と彫刻にあるといわれています。 独学で日本や中国の書に打ち込んだそうです。

1904年、21歳で第36回日本美術展覧会に出品した隷書「千字文」が一等賞2席となり、一躍有名になったと伝わっています。 

  ふくやま書道美術館では、制作活動の出発点となった篆刻(てんこく)・書画を中心に展示してありました。 展示品の隷書「酒猶兵」(1913年)は、魯山人が酒造主富田八郎のために書いたものだそうですが、その意味は「酒も兵も同様に人身を損なう」(出典:中国の歴史書『南書』)と解説にありました。 酒好きの我々には耳の痛い言葉です。
  
♣ 食客として各地を巡りながら、美術品への審美眼と美食への関心 
005   一方、ふくやま美術館では、「星岡茶寮」(ほしがおかさりょう)で使用され魯山人の美食に彩を添えた器を含む陶芸作品が展示してありました。 

  魯山人は1925年には、会員制の高級料亭・星岡茶寮で顧問兼料理長をつとめ、料理の分野において異彩を放ったと知りました。  なお、このころから作陶も始めたようです。 陶磁器制作に専念し始めたのは、1936年以降です。

  展示品の京焼「色絵椿文鉢」(1930-40年代)は、1935年ごろから次第に最初制作の中国風から離れて、桃山時代を中心にした日本的な優美さを目指すようになったころの作品と知りました。  これらは「いずれも『食器は料理のきもの』と繰り返していた魯山人の思いがしのばれる一品」と解説にありました。

  「美と食の巨人・魯山人の魅力はすばらしい!!」と申し上げたいですが、今回初めて魯山人の約250点もの大量の作品展を見た私には、魯山人の魅力はまだまだ良く判りません。 

《ふくやま美術館》
●住 所:福山市西町二丁目4-3
●電 話:084-932-2345
●HP(日本語検索):ふくやま美術館

《ふくやま書道美術館》
●住 所:福山市西町一丁目1-1
●電 話:084-991-5112
●HP(日本語検索):ふくやま書道美術館

《ふるさとの地名俳句》【福山城公園】
 昇りたる月をはなれて落花かな  寺地 邦雄  
※ふくやま美術館は福山城公園内にあります。
   

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2009年4月27日 (月)

■【美術館巡り】温泉宿泊施設が評判の道の駅へ併設した「はらみちを美術館」は、開館3周年記念特別展開催中(主要地方道三次高野線「道の駅ふぉレスト君田」)

◆詩画家はらみちをが日本三景の一つである厳島(宮島)を訪れて伝統の宮島管絃祭(注)を描いた、「はらみちを厳島を描く」原画展を観る
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去る25日既報のブログ「奥田元宋・小由女美術館」企画展観賞が午前中に終わったので、これまで何度か立ち寄った合併前の隣町(三良坂町)にある豆腐製造兼豆腐料理店「佐々木豆腐店」まで車を駆って、昼食は各自好みの豆腐料理を注文しました。
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主な食事メニューは「○○定食」(奴定食、厚揚げ定食、油揚げ定食、豆乳うどん定食等、いずれも、おかず、汁、黒米ご飯付、700~800円台)及び「○○の膳」(月替りの膳、豆遊膳、生湯葉の膳等、いずれも、おかず、汁、黒米ご飯付、1,100~1,200円台)です。 なお、別格の福福膳メニューは、デザート付きで1,575円です。

  腹ごしらえが終わると、旧三次市隣接の旧君田村(現君田町)道の駅「ふぉレスト君田」に併設されている「はらみちを美術館」を目指して、桜の花がまだ6.7分咲きの主要地方道を川沿いに上りました。
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雨の中をようやく道の駅「ふぉレスト君田」に着きました。 当駅は開設当初から君田温泉「森の泉」(宿泊)として有名なため、建物正面の駐車場は入浴目的の車でほぼ満車状態でした。 参考までに、'07年(1~12月)の当温泉入浴客数は約253,000人(対前年比▲12.6%)でした(県観光統計)。
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当駅の正面向かって左端建物が「はらみちを美術館」です。 3年前に道の駅施設に併設したため、建物は並んで建っていますが、温泉宿泊施設とは土地が一段低く、しかも別棟になっていて目立ちません。
  そのため、美術館の案内板が駐車場出入口に立っていても小さくて余り目立たず、温泉宿泊客の中には美術館の存在すら気付かない人もありそうです。

026 さて、特別企画展は一室しかない常設展示室の壁面等を利用して、常設展示品とともに展示してありました。
展示物は1989年に出版した絵本『さいぶりダイちゃん』の原画15枚で、厳島神社の大鳥居をイメージした赤い額縁に、厳島神社の回廊を子どもが走り回る姿や管絃祭のために数多くの船が集まる様子などが描かれていました(展示室内撮影禁止のため展示品の写真はありません)。

003 受付で渡された解説文「宮島管絃祭の由来」によると、作者(広島市在住)が「(管絃祭に参加した)稚児さんのところで泊り込みで管絃祭(の様子)を描かれた」と記述してありました。
   「母と子」をテーマに活動しているはらみちをが、厳島最大の神事を描いた貴重な作品でした。(会期:~5月15日まで)
 
《注:宮島管絃祭》
  管絃祭は平清盛が安芸の守(あきのかみ)に任ぜられた1146年~1156年頃、都から菅絃祭を移入したのが始まり。

  この厳島最大の神事は旧暦6月17日(新暦7月末~8月初め)に毎年開催され、美しく飾られたご座船が雅楽を奏しながら3隻の漕船(1700年頃、ご座船が儀式終了後の海上で台風に出会い沈没寸前、付近に出漁していた2村の漁船に救助されたのが縁で、以来、この2村から3隻、即ち現在の広島市江波地区から1隻及び呉市阿賀地区から2隻の船と決まっている)に引かれていく華麗豪快な海の祭典。

 それを参拝するため近海の漁船400隻余り、遠くは九州、四国からのぼりを立てて集まってくる。
 <資料> 美術館の解説文「宮島管絃祭の由来」から抜粋。 ※文中の()は筆者注記。

《有限会社佐々木豆腐店》
●住所:〒729-4304 広島県三次市三良坂町2610-16
●HP(日本語検索):豆遊佐々木豆腐店

《道の駅ふぉレスト君田》
●住所:〒728-0405 広島県三次市君田町泉吉田311-3
●HP(日本語検索):ふぉレスト君田

《はらみちを美術館》
●住所:  道の駅ふぉレスト君田 内
●HP(日本語検索):はらみちを美術館

《ふるさとの旧村花に因んだ俳句》 【こぶし】モクレン科 
※平成合併前の旧君田村の村花
 空に咲く白のはじめの花辛夷(こぶし)  宮津 昭彦
〔NHK花言葉〕友情、歓迎

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2009年4月24日 (金)

■【美術館巡り】近代日本画 美の系譜~大観・春草から元宋・辰雄まで~を観て(広島県三次市「奥田元宗・小由女美術館」)

◆日本画専門の美術館・水野美術館(長野市)のコレクション約400点の中から、その殆どが広島初公開となった60点の名品を、一堂に展観

♣ 展示作品は幅広い魅力を持つ日本画の世界
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  本展は去る’09年3月6日~4月12日まで、奥田元宋・小由女美術館(以下、当館という)の企画展として開催されました。  当館へは開館以来年数回は企画展に訪れており、本展は予てより開催予告チラシをみ見て家人も関心を寄せていましたので、4月下旬に家人の友人も誘ってマイカーで訪れました。
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  当水野コレクションは東京美術学校(現東京藝術大学)を開校したフェノロサと岡倉天心に共鳴した当時の大御所・橋本雅邦や、そのもとで育った横山大観、下村観山、菱田春草ら近代日本絵画を形成した巨匠たちの作品約400点を系統立てて集めてあります。

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  その中のわずか60点を今回観賞しましたが、その中でも
①雅邦、大観、春草ら日本美術院の画家たちの活躍…作品例:「寒山拾得」雅邦、「無我」大観、「稲田姫(奇縁)春草」
②日本画の魅力の一つである美人画の上村松園、鏑木清方、伊東深水の活躍…作品例:「かんざし」松園、「大川の虹」清方、「鏡獅子」深水
等は圧巻でした。
  その他に
③日本画に「風景」というジャンルを根付かせた川合玉堂とその玉堂に師事し徹底した写実性を追求した児玉希望(広島県出身)、二人の精神に学び故郷(現三次市)で風景画家として開眼した奥田元宋の巨匠・師弟三代の活躍…作品例:「暮雪」玉堂、「春月」希望、「多摩月照」元宋
等に惹きつけられました。 

 ぜひ水野美術館を訪れて、その他残りの作品も観賞したいものです。

 当館の次の企画展は「奥田小由女文化功労者顕彰記念 女流作家巨匠展」(4月24日~5月24日)です。 ぜひお出かけください。

(参考) 当館'07年(1~12月)の入館者数は、県の観光統計によると約229,000人(対前年比▲44.2%)でした。

《奥田元宋・小由女美術館》 電話(0824)65-0010
 ●住  所:広島県三次市東酒河町453-6
 ●休館日:毎月第2水曜日、年末年始、作品入替等による臨時休館あり

《ふるさとの地名俳句》【三次(みよし)人形】粘土を原料とした土人形。 三次市伝統的工芸品、 広島県無形文化財。
  伝承の稚拙好もし郷土雛  石田 黄雀 

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2008年12月 1日 (月)

■【美術館巡り】特別展「徳川家・姫君の華麗なる世界~徳川美術館の名品~」を観て(福山市・広島県立歴史博物館)

尾張徳川家に伝わる至宝(名古屋市・徳川美術館所蔵)を歴代の姫の人生儀礼や生活に即して、「節目を祝う」「姫君の装い」「たしなみと遊び」の3部門で構成展示して好評。入館者4万人突破!!
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   特別展「徳川家・姫君の華麗なる世界~徳川美術館の名品~」(以下、本展という)は、去る10月17日(金)から11月24日(月・祝)まで広島県福山市内の県立歴史博物館(以下、当館という)で開催されたので、家人と遠出を兼ねて車で観に行きました。

   徳川美術館は、江戸時代に御三家筆頭として将軍家に次ぐ格式を誇った尾張徳川家に伝えられた重宝を収蔵することで広く知られています。   
   003
   本展には婚礼調度をはじめ、儀礼に用いられた道具、華やかな衣服や調度品、絵巻、武具など、国宝、重要文化財を含む徳川美術館所蔵の調度品約110点が展示されました。

   閉幕3日前の11月21日、入館者が4万人に達したと新聞、TVで報道されました。
   国内の多くの博物館が開館数年後から入館者の頭打ち傾向にある中で、本展の開催で本年度の当館は入館者増になりました。

   当館の過去4か年(暦年)の入館者数は、2004年が約37,000人、2005年が約34,000人、2006年が約34,000人、2007年が約86,000人となっています(出典:『広島県観光客数の動向』広島県)。  当館の一つの特別展開催で40,000人の入館者数は特筆に値します。

   本展の案内チラシの片隅に「同時開催:NHK大河ドラマ『篤姫』展」(10月17日~11月3日)が観覧料無料で掲載されていましたので、その相乗効果もあったのでしょうか。 なお、NHK大河ドラマ「篤姫」は後2回の放映で、好評裡に終わりそうです。

《ふるさとの地名俳句》【干満の潮待ち港・鞆の浦】
鞆の津の酒屋で暦もらひけり  越智 晶子 

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2008年11月10日 (月)

■【博物館巡り】特別展「西国三十三所ー観音霊場の祈りと美」を観て(名古屋市立博物館)

四国八十八か所巡礼と並んで最もよく知られた巡礼の道、西国三十三所巡礼の歴史と観音信仰に基づく美の世界紹介
     京都・清水寺、奈良・長谷寺など近畿周辺の観音霊場を巡る西国三十三所巡礼は、最初に僧侶の修行として始まり、その後、貴族、民衆へと広まりました。

   この参詣は現在も多くの人々に親しまれ、わが家の家人は数年前に貸切バスで巡礼を終えています。      一方、私は京都、奈良の西国三十三所の数か寺の霊場へはお参りしましたが、それ以外の霊場へはお参りしていません。
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   特別展「西国三十三所ー観音霊場の祈りと美」(以下、本展という)は今年が西国三十三所巡礼中興の祖、花山法王の一千年忌にあたることを記念し、三十三所全霊場に伝えられた宝物を一堂に会したものです。
   本展は去る9月下旬まで奈良国立博物館において開催されていましたが、当時は時間が取れず残念ながら奈良での鑑賞を見送りました。 

   その後、仕事で10月17日に東京都内で会議へ出席する機会があり、都内で一泊後の翌18日から名古屋市立博物館で開催された本展を観に、18日の帰途新幹線名古屋駅で途中下車しました。
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  会場入り口には本展のポスター等が随所に掲示してあり、本展のムード盛り上げがしてありました。
   展示作品の中で、安置してある寺院で滅多に開帳されることがない「秘仏」が、本展で開帳されるものもあって話題になっています。

   たとえば、京都・清水寺(16番札所)奥の院本尊「千手観音坐像」(重要文化財)は長らく秘仏とされてきましたが、寺内では5年前、実に243年ぶりに開帳されました。  寺外ではこのたび本展で初めて公開されました。
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有名な仏像では、奈良・岡寺(7番)の「菩薩半迦像」(重要文化財)や岐阜・華厳寺」(33番)の「毘沙門天立像」(重要文化財)などが展示してありました。   

   また、絵巻物では同じ清水寺の「清水寺縁起絵巻」や和歌山・粉河寺(3番)の「粉河寺縁起絵巻」などが展示してありました。

    これまで西国三十三所めぐりは、京都・奈良の数か寺しかお参りしていない私にとって、本展は巡礼のための事前勉強になりました。

   私はこれまでマイカーを使って、中国三十三観音霊場巡り、四国八十八か所霊場巡り(4年前の閏年に逆打ち)を終えまして、「今度挑戦するのは西国三十三所観音霊場巡り」と心に決めています。

   なお、名古屋市立博物館の特別展「西国三十三所ー観音霊場の祈りと美」は11月30日まで 

《問い合わせ先》 
名古屋市立博物館 電話052-853-2655
             休舘日:月曜日(ただし、11月24日は開館)
                   11月25日(火) 

《ふるさとの地名俳句》【尾張大根】 
争ひて尾張大根乾く日ぞ  中村 汀女  



  
   

  

     

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