◆【歴史街道】旧銀山街道の難所・赤名峠付近を駆け足探訪(広島県三次市)
8月中旬日曜日の朝、広島県三次市内の駐車場から「1日歴史探訪・自然満喫ツアー」の貸切バスに乗ったメンバー(14名)は、まず最初の歴史探訪・旧石見銀山街道(三次市布野町コース)へ向かいました。
布野町は広島市と松江市を結ぶ国道54号のほぼ中間地点に位置し、島根県との広島県側の県境にあります。
当町は太古には沼が広がり、“浮沼” がなまって「布努(ふぬ)」あるいは「布野郷」と呼ばれていました。
江戸時代は幕府直轄の鉱山である石見の国「大森銀山」から産出した銀を運搬し、当時の交通の難所・赤名峠や三次を経由して、山陽の港町・尾道に向かう石見銀山街道(以下、「銀山街道」と略称)として、山陰・山陽を結ぶ交通の要衝でした。(象形文字については、文末に説明)
今回の歴史探訪ツアーには、広島・島根両県境を活動拠点に地域づくりNPO法人として活動しているメンバー数人が同行し、ガイドを務めてくれたので銀山街道への理解が深まりました。
ガイドの説明や銀山街道の資料によると、大森銀山から産出された銀は、毎年米の収穫が終わった旧暦の11月ごろに、助郷制(注①)によって人馬を徴発して次の宿場まで送り届けなければならず、助郷のために集められた近隣の村々の人馬にとっては苦役そのものだったようです。(象形文字については、文末に説明)
特に、国境の赤名峠は標高680mと銀山街道の中で最も高く、急峻で積雪の多い難関の峠として知られていました。当日は国道54号を赤名峠から布野側にバスを移動し、途中で下車して銀山街道を歩きました。なお、赤名峠に近い銀山街道の国道沿いには駐車場がありません。 銀山街道見学コース等については、事前に布野町の道の駅「ゆめランド布野」あるいは三次市役所布野支所へお尋ねください。
当日、個人の敷地内を通る銀山街道は草刈がしてあり、地元の人々の銀山街道に寄せる思いが感じられました。 街道のそばには赤名側から「万右衛門の墓」(注②)、少し離れて「熊地蔵」(注③)が建っており、銀山街道が単に幕府のための銀の運搬だけでなく、陰陽を結ぶ生活や文化の道であったことを物語っています。
今回の布野町における銀山街道の歴史探訪は、約十年前ごろに当時の布野村の「道の駅の創設」(役場所管)や「特産品の開発」(商工会所管)に外部からかかわった私にとって、旧布野村の歴史についての“おさらい”になりました。
最近、各地の道の駅において“地域情報の受発信機能の不備”が道の駅利用者から指摘されています。道の駅「ゆめランド布野」及び三次市布野支所におかれても、来町者に対する地元の観光情報の提供に、より一層の対応を期待したいものです。
道の駅利用の方も、道の駅から次の道の駅への「点」と「線」の移動だけでなく、道の駅周辺の観光や都市農村交流等「面」の広がりも楽しみませんか。
【注】
① 助郷制(すけごうせい) 街道の宿場の最も重要な役割は、幕府公用の旅人の荷物を次の宿場まで送り届ける継立業務です。銀の運搬には宿場で用意されている人馬だけでは足らなくなり、近隣の村々から人馬を集めなければなりません。これが制度化して宿場ごとに人馬を補助する村を定めることを助郷制といいます。
② 万右衛門の墓
1832年に現在の島根県太田市から干し魚や木綿などの行商にやってきた行商人の万右衛門が、赤名峠で不運にも殺されたのを葬って現在も供養しています。
③ 熊地蔵
伝説によると、時代ははっきりしませんが、猟師が子熊を捕らえて育てた後、熊の胆と毛皮を取るために殺したとき、その供養のために建てたものだと伝え、蓮台の下に彫ってあるのは熊の顔だといわれています。
高さ約1mの石碑で、安産・育児の神である鬼子母神を彫っていますが、今は風化して原形をとどめていません。 鬼子母神は本来、関東に広く分布しており、西日本では珍しい存在で、旅回りの石工による作と推定されています。 参考文献:布野村誌(通史編)ほか
≪コーヒー・ブレイク≫ 【布野町に残っているたたら製鉄の捨金】皆さんは「捨(て)金」 という言葉をお聞きになったことがはあるでしょうか。 現在、世間一般でいわれている「捨(て)金」は、“無駄な金。遣っても役に立たない金”の意味ですが、たたら製鉄の「捨金」はまったく意味が違います。
広島県内では古くからたたら製鉄(日本古来の木炭を火力に使った製鉄法)が発達していました。 たたら製鉄では、炉から最後に残った溶鉄は、人の用に使わず神にささげるため流し捨てる(「捨金」)慣わしがあったそうです。
1901年に鉄鋼一貫体制を目指した官営八幡製鉄所が稼動を始めるとたたら製鉄は存在価値を失い、それまで在来製鉄法の見直しと改良などの研究のため旧布野村にあった、官営(国営)広島鉱山落合作業本所が1904年に閉鎖されました。 その後、旧落合作業本所付近での工事の際に捨金が出土し、現在三次市役所布野支所(旧布野村役場)の前庭駐車場に展示(?)してあります.
“展示(?)”と疑問符を付けたのは、その捨金は駐車場の片隅の植え込みの土の上に単に置いてあるだけです。 捨金についての案内札が横になければ、庭石とは思えない石塊が置いてあるとしか私には思えませんでした。 歴史的価値は分かりませんが、公共施設屋内への展示、あるいはせめて展示台を作ってその上に捨金を乗せるなどが必要と思いました。
【布野町観光についてのお問い合わせ先】
〔道の駅ゆめランド布野〕 電話0824-54-2929
〔三次市役所布野支所〕 電話0824-54-2111
【象形文字の説明】
中国雲南省ナシ族が祭祀などに用いるトンパ文字で、上は「銀塊」、下は「銀」を意味します。
《追 補》
*06年11月、最近撮影の現地写真5枚を新たに添付しました。