■【美術館巡り】書画・陶芸と美食の全貌「没後50年北大路魯山人展」を観に(広島県ふくやま美術館ほか)
◆篆刻家、画家、陶芸家、書道家、漆芸家、料理家、美食家など様々な顔を持つ美と食の巨人の魅力
♣ 書家として出発した魯山人
北大路魯山人(1883-1959年)の初期から晩年までの約250点を集めた「没後50年北大路魯山人展」が、ふくやま美術館と、ふくやま書道美術館で、4月4日(土)から5月17日(日)まで開催中です。
4月下旬の平日、会場の福山市まで主に山陽自動車道を利用して出かけました。 近年、当美術館および書道美術館の2館へは、マイカーで年1~2回訪れています。
魯山人の芸術の原点は書と彫刻にあるといわれています。 独学で日本や中国の書に打ち込んだそうです。
1904年、21歳で第36回日本美術展覧会に出品した隷書「千字文」が一等賞2席となり、一躍有名になったと伝わっています。
ふくやま書道美術館では、制作活動の出発点となった篆刻(てんこく)・書画を中心に展示してありました。 展示品の隷書「酒猶兵」(1913年)は、魯山人が酒造主富田八郎のために書いたものだそうですが、その意味は「酒も兵も同様に人身を損なう」(出典:中国の歴史書『南書』)と解説にありました。 酒好きの我々には耳の痛い言葉です。
♣ 食客として各地を巡りながら、美術品への審美眼と美食への関心
一方、ふくやま美術館では、「星岡茶寮」(ほしがおかさりょう)で使用され魯山人の美食に彩を添えた器を含む陶芸作品が展示してありました。
魯山人は1925年には、会員制の高級料亭・星岡茶寮で顧問兼料理長をつとめ、料理の分野において異彩を放ったと知りました。 なお、このころから作陶も始めたようです。 陶磁器制作に専念し始めたのは、1936年以降です。
展示品の京焼「色絵椿文鉢」(1930-40年代)は、1935年ごろから次第に最初制作の中国風から離れて、桃山時代を中心にした日本的な優美さを目指すようになったころの作品と知りました。 これらは「いずれも『食器は料理のきもの』と繰り返していた魯山人の思いがしのばれる一品」と解説にありました。
「美と食の巨人・魯山人の魅力はすばらしい!!」と申し上げたいですが、今回初めて魯山人の約250点もの大量の作品展を見た私には、魯山人の魅力はまだまだ良く判りません。
《ふくやま美術館》
●住 所:福山市西町二丁目4-3
●電 話:084-932-2345
●HP(日本語検索):ふくやま美術館
《ふくやま書道美術館》
●住 所:福山市西町一丁目1-1
●電 話:084-991-5112
●HP(日本語検索):ふくやま書道美術館
《ふるさとの地名俳句》【福山城公園】
昇りたる月をはなれて落花かな 寺地 邦雄
※ふくやま美術館は福山城公園内にあります。
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