■【プロ野球広島カープ情報】“炎のストッパー”故・津田投手の顕彰板を見に、4月の新球場完成で閉鎖される広島カープの現本拠地球場「広島市民球場」へ(広島市中区))
◆終戦直前の原子爆弾投下により焦土と化した広島市で、戦後復興の希望として誕生した広島カープとともに、半世紀余りを歩んだ広島市民球場を、昨年末33年ぶりに訪問
▼はじめに
現在のプロ野球広島東洋カープ(以下、広島カープと略する)は1949年12月に結成され、セントラルリーグに加盟(設立当初は7球団)しました。 なお、結成当初の広島カープ本拠地球場は、市の中心部から離れた広島総合球場(現在、西区観音新町にある広島県営球場)でした。

ところが、1955年頃からプロ野球はナイター試合が主流となり、広島総合球場ではナイター設備がないため、「ナイター設備を備えた新球場を市内中心部に」という市民・県民の声を反映させる形で、交通至便な市内中心部の基町へ地元財界10社の寄付金により、1957年に現在の広島市民球場を建設し、新たな本拠地球場にしました。
このたび、現在の広島市民球場が老朽化したため、本年4月に新広島市民球場がJR広島駅南口から徒歩約10分の場所に完成し、広島カープの新たな本拠地球場になる予定です。
▼広島市民球場と広島カープの戦績の関係を戦績表から見る
プロ野球ファンなら良くご存知のように、広島カープは結成から現在までにリーグ優勝6回(1975年,1979年,1980年,1984年,1984年,1986年,1991年)、日本一3回(1979年,1980年,1984年)の栄誉に輝いています。
その間、A・Bクラス入りはどうだったのかとホームページでプロ野球記録を調べてみますと、Aクラス20回、Bクラス38回とBクラス在位期間が長いことが分かりました。
特に、1950年から1967年までの18年間(結成当初の広島総合球場から広島市民球場へ移転後の10年間)の連続Bクラス最長記録は、戦後2リーグ制になってからプロ野球史上2位のワースト記録となっています。
やっと、1975年に広島市民球場でリーグ初優勝し、日本一も1979年に広島市民球場で初めて達成できた訳です。 私は'75年に日本シリーズの試合が広島市民球場で行われた際に、指導先企業の招待で観戦しました。 結局、リーグ優勝6回、日本一3回は広島市民球場で達成しました。
この33年間、私の勤務先(独立開業後は事務所)が市内中心部にあったり、関与先企業が市民球場近くにあったりしましたが、結局は仕事に追われるなどで余り足を運びませんでした。
▼閉鎖まで100日を切った広島市民球場を昨年暮れに見学し、ファンだけでなく市民・県民にも思い出多い感傷に浸る

昨年暮れの平日に、所用で市内中心部に出かけた際に広島市民球場前を通りかかり、以前から有料イベントのない日は球場が無料で一般公開されているのを知っていたので、無人受付で簡単な名簿記帳を済ませて入りました。
● グラウンドでは球場閉鎖を惜しんで、市民の野球チームが試合の最中
33年ぶりに内野スタンドに上がってみますと、ちょうど職場のグループらしい野球チームが、今まさに試合前の挨拶を交わす場面に遭遇しました。
しばらくの間、内野手がゴロをトンネルしたり、外野手の上を越えた長打連続の草野球(失礼)を眺めていました。 プレーしているメンバーは、使用が残り少なくなった球場で最後のプレーを楽しんでいるようでした。
● 津田投手の顕彰板(銅製)は1塁側ブルペン(投球練習場)内に掲示中
今回入場の主目的は、これまで一般に開放されることが少なかった、「カープファンならぜひ見たい」カープの“炎のストッパー”故・津田恒美投手の顕彰板「津田プレート」(通称)をこの目で見ることでした。

なぜこれまで津田プレートがフアンの目に余り触れなかったのかは、次の理由からでした。
それは、現球場では津田プレートが1塁側ブルペン脇の柱に掲げてあり、試合日にはカープ投手が投球練習をしているため、観客は立ち入ることができない場所だったからです。
そのため、これまで現球場では試合のない日やシーズンオフに、ファンは予約制で津田プレートに対面する方法しかなかったのです。 ただし、昨年の9月末から現球場が一般に開放されている日には、津田プレートも公開されています。
私も昨年末の見学日にやっと待望の津田プレートに対面しました。 1塁側内野スタンドの通路横に「津田プレート」の場所について方向板の掲示があり、その表示に従って内野席からブルペンに通じる扉が開けてありました。 電灯が点いてなく暗いブルペンに降り立つと、顕彰板を掲げた柱が見えました。

午後の太陽の光が少し差し込んでいるその柱に近寄ると、顕彰板に記載している文字が少し見えました。 しかし、肉眼では判読しにくい状態でした。 他の入場者達も「銅版が汚れていて字が読めない」など、お互いに話し合っていました。 私は「文面の解読は別の方法でできる」と思い、写真を数枚写して帰りました。
帰宅して、「津田恒美顕彰板」で検索すると多くの方のブログや新聞記事があり、顕彰板記載の全文が判明しました。 その文面は次のとおりです。
直球勝負
津田恒美(享年32)
1982~1991
笑顔と闘志を忘れないために。
初出場 1982.4.10 (対大洋2回戦/広島市民球場)
初勝利 1982.4.29 (対大洋6回戦/横浜スタジアム)
生涯成績 49勝41敗 90セーブ
なお、銅版の汚れについては、これまで球団職員に案内されて津田プレートを見た人のブログや新聞記事によると、「多くの(カープ)投手が登板する前にこのプレートに手を添えたようで、汗などで変色しているところがある」が、球団職員も「汚れているようでも銘版を拭いたりはできない」という言葉が添えてありました。
最近の新聞記事では、「(津田プレートについて)新球場では、同じブルペン脇に移設されるが、試合日に立ち入れない。
現球場では試合のない日やシーズンオフに津田プレートを訪れるファンが後を絶たないことから、レプリカ(複製)での公開を決めた」(中国新聞2009.1.7朝刊)と報じています。
4月以降の新球場では、球場への入場者はレプリカをたやすく見ることができそうです。
▼ おわりに
前出のように、結成当初から連続18年間もBクラスに低迷し、当初は選手の遠征費、報酬の支払いにも支障をきたしていたカープ球団に対して、球場入り口に大きな酒樽を置いて入場者がカンパする“樽募金”で支えてきました。 当時は“草野球少年”の私も、試合観戦の際は入場料と共に樽募金投入は欠かしませんでした。
従って、広島カープ球団の創設期の苦労を知りそれを支えてきた広島市民・県民にとっては、途中で球団の経営陣が代わって広島東洋カープに社名変更したり、その後Aクラス維持や優勝、日本一になっても、“われらがカープ”の気概を抱き続けるファン・市民・県民が広島にまだまだ大勢健在です。
《球場見学問い合わせ》
広島市市民球場管理事務所 電話 082-228-5291(代)
《追補》市民球場での「津田プレート見学」は1月15日で終了
今朝の新聞に「津田プレートの一般見学は、南区で建設が進む新広島市民球場に移設するため、本日で最後になる」旨の記事が載っていました。(中国新聞'09.1.15朝刊)
《ふるさとの地名俳句》 【原爆ドーム】※現市民球場と原爆ドームとは道路(電車通り)を隔てて建っています。

被爆ドームに冬来る瓦礫そのままに 藤岡 築邨
(球場3塁側内野席上段通路から原爆ドームを臨む)
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