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2008年12月30日 (火)

【'08年末 故人悼記】広島県内初の民営ユースホステル「自然の森 MGユース・ホステル」を開設し、全国有数の人気ホステルに育てた“森岡ママ”が永眠。享年98(広島県府中市上下町)

長年にわたり青少年に交流の場を提供すると共に、原爆の恐ろしさや平和の尊さを伝える語り部を務めた人傑・森岡まさ子さんを偲ぶ 
 毎年、年末の新聞にこの1年間の著名人の墓碑銘(悼記)が載ります。  今年、森岡まさ子さん(注1)の訃報(5月13日死去)に接したときはショックを受けました。  訃報を聞いた友人、知人から、私の許へも驚きと惜しむ声が寄せられました。 

  90歳を過ぎてかかった大病から回復し、晩年は夫の遺志を継いで平和の大切さを伝えようと、講演に国内や世界中を飛び回っておられた森岡さんに、もっとご活躍していただきたかったと思われる人々は大勢居られると存じます。 本年末に際し、改めて森岡さんを追想してみたいと思います。 

  森岡さんには、1983年の春に初めてお会いしました。  前年に結成された「過疎を逆手にとる会」(注2)の第1回「逆手塾」(1泊2日)が、上下町隣町の総領町で開催された際にお目にかかりました。 

  翌年から、私は逆手塾のスタッフの一員となり、年1回の逆手塾開催の際には森岡さんにたびたびお越しいただいたり、森岡さんのMGユースで逆手塾の打ち上げをスタッフが行うなど、親しくしていただきました。
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森岡さんにお目にかかると、心からの満面の笑みとお歳を感じさせない力強い話し方で、誰もが魅了されました。  全国からMGユースを訪れた若者が「森岡ママ」のフアンとなって「MGっ子」を名乗り、その後も足を運んだ事績は末長く語り継がれることでしょう。

  残念ながら最近はお目にかかる機会がなく、私が最後にお会いしたのは1999年から始まった可部線存続運動(注3)の際、2001年1月に私の住んでいる可部町で開催された決起講演会で、森岡さんを講師にお迎えしたときでした。

020  当日、地元主催団体のメンバーとして会場スタッフをしていた私は、講演の前後に森岡さんへお目にかかって、親しくお話させていただきました。  お名刺は初対面時にいただいてから、その時が2度目で最後になりました。

  一方、肉声ではありませんが、今夏に「NHKラジオ深夜便・心の時代」(午前4時台のラジオ放送)で、森岡さんの「出会いは人生の宝~97歳を生きる」(2夜連続)の1年前の再放送(リクエスト)を聴きました。

  もうお声は聴けないと思っていた矢先、早朝に目が覚めてラジオのスイッチを入れたら、森岡さんの力強い声が流れてきて、これまで詳しくは知らなかった波乱万丈の人生を聴き、新たな感動を覚えました。 

  余談ながら、午前4時台のラジオ深夜便は新聞には、ゲスト名、タイトル等が載ってなく、偶然の聴取でしたので、何か因縁めいた感じがしました。  謹んで、森岡まさ子さんのご冥福をお祈りします。

《注1》森岡まさ子さんの略歴 
  森岡まさ子(1910-2008)上下町生まれ。旧制上下高等女学校卒業。 戦前、新聞記者・森岡敏之氏と結婚。その後、旧制京都大学マライーニ氏の秘書を勤め大きな影響を受ける。 

  戦後、終戦前の広島市内で原子爆弾の投下により被爆し、原爆症となった夫と共に上下町に帰郷する。 

  1959年、夫の希望で広島県内初の民営「自然の森 MG(モダンガイド)ユースホステル」(当初4畳半の一間のみ)を開設する。
  このMGユースを舞台に若者との交流を続け、30万人の宿泊客の面倒を見て、「森岡ママ」と慕われた。

  1967年、夫の死後も講演で全国を回り、原爆の恐ろしさや平和の尊さを訴え続けた。 旧上下町名誉町民。 92歳で「エイジレス章」(内閣府)授章。 2008年5月13日永眠。

○近著:『森岡ママは今日も笑顔で丘の上』講談社(2007) 定価(税込)1,680円 <本文の写真は表紙>
○商品名「CDセレクション ラジオ深夜便“出会いは人生の宝~97歳を生きる”森岡まさ子 B99BF」
  販売価格 1,050円、, 内容 CD1枚 78分、 発売 NHKサービスセンター   

《注2》過疎を逆手にとる会
  1982年4月、広島県の山間部の過疎地域で発足した。 中国地方の若者たちが、過疎地域間のネットワーク形成を目的とした会。

  過疎を逆手にとる会(通称:過疎逆)は、発足のときに「過疎を逆手にとる法10か条」(申し合わせ事項)を掲げ、これを理念とし、哲学ともした。

  〔10か条〕1、「過疎」は「魅力ある可能性」と信じること。 2、「ない」ということは「なんでもやれる」という可能性があること。 3、目標は「東京にはできないこと」をやること。(以下、略)

  年1回の「逆手塾」(1泊2日)は、最盛期には200名を超える参加者があり、全国の地域づくり活動に影響を与えた。  やがて、過疎を逆手にとる会は2001年に「逆手塾」に改称し、目的、内容、組織等も新しく生まれ変わっている。 ※現在の逆手塾については、<宮崎文隆のホームページ-逆手塾>をご覧ください。

《注3》可部線存続運動 
 1998年、JR西日本が可部線の非電化区間(可部ー三段峡間4602km)廃止計画を発表した。 
 沿線の広島市、湯来町(現広島市)、加計町・筒賀村・戸河内町(現安芸太田町)の自治体、地域住民、各種団体等は1999年から可部線存続運動を展開した。

 活発な存続運動の努力も空しく、2003年11月30日をもって非電化区間(可部~三段峡)は廃止された。

《バラの俳句》【バラ】(バラ科) <NHK花言葉>
 雨近し色極限の薔薇なりし  早間 幸枝

  ※私は森岡まさ子さんがお好きだった花を寡聞にして存じません。  しかし、私は大勢の方々が森岡さんを慕って取り囲んだ場面を何度か目にしたり、また森岡さんを中心にした集合写真を拝見して、「まるで森岡さんは“大輪の薔薇”のようだ」と感じたことがあります。  そこで、バラの花言葉「愛」とバラの俳句を森岡さんに献じます。
 

  

  
  

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2008年12月24日 (水)

■【地域イベント】残念!! 山一つを丸ごとクリスマスツリーにする「翁山世界一の夢のツリー」が20年目で惜しまれながら終幕(広島県府中市上下町)

上下町活性化の起爆剤になった「翁山世界一の夢のツリー」はいよいよ新春4日で終了

   クリスマス前後は、繁華街や大型店でイルミネーションやツリーを飾って、ジングルベルの音楽が流れる場面が至るところで見受けられます。 最近は家の屋内や屋外にイルミネーションやツリーを飾って楽しむ家庭も、各地に散見されるようになりました。
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   広島県府中市上下町(じょうげちょう)では、“平成合併”前の旧上下町時代の1989年から町中心部にそびえて、町民に親しまれている翁山(おきなやま・標高538m)を、住民有志が「翁山世界一の夢のツリー」実行委員会(事務局:上下町商工会)を結成して、12月上旬から翌年1月上旬までの期間に4000個の電球点灯で山ごとツリーに飾り立てました。
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   その後、年々内容改善を重ねて今では広島県内の師走の風物詩として親しまれる名物イベントに育て上げました。(写真は「翁山世界一の夢のツリー」19991年12月の点灯光景。写真提供:実行委員会)

  報道では今年も去る7日にふもとの小学校グラウンドで点灯セレモニーがあり、住民ら約300人がカウントダウンに参加したそうです。 

午後6時に山腹から中腹にかけて設置した約4000個の赤、青、黄の電飾が一斉に灯もり、新春4日まで毎夜6時ー11時点灯。 ただし、12月24,25、31日は夜通し点灯されます。

   今年のイルミネーションは例年の町の観光PRマークに加えて、「20回ありがとう」の文字が輝いていると
報道されていました。 

   長年の風雨で電飾設備が老朽化したり、翁山山頂一帯の樹木が成長して年間常設の電飾が見えにくくなったが、その再整備の予算確保も難しいために、主催者の「翁山世界一のツリー」実行委員会が今冬限りで廃止を決定したのです。

   「翁山世界一の夢のツリー」廃止は町民やフアンにとって大変残念なことですが、1980年代に上下町商工会へ何度か地域活性化の講演に訪れた私も残念に思います。 

   その後、私は1989年「翁山世界一の夢のツリー」が初めて点灯されたその日の午後に、上下町の近くの町で周辺地域の町村長と同じ地域の商工会役員による「地域問題懇談会」(町村長と商工会役員が当地域の活性化について意見交換する会)の講師に招かれていました。  

   懇談会の終了時に、旧知の上下町K町長から出席者に対して「皆さん、上下町では今夜から正月明けまで翁山を丸ごとクリスマスツリーにするイベントを開催します。ぜひ観においでください」と案内がありました。 
 
私は初日の当夜は先約があって行けなく、その後も12月、1月は報告書執筆等で忙しくて、とうとうその時期に訪れる機会を逸しました。

   しかし、その後のある年の夏に上下町で開催されたまちづくりの会合(1泊2日)に参加した際、夜は上下町内に宿泊したことがあります。

   その夜、町内放送で「今夜の翁山ツリーの点灯は、○○さんから○○さんへ○○のお祝いです」といった内容のアナウンスがあり、ツリーの臨時点灯(電飾設備は周年常設のため、事前に申し込みめば有料点灯)が行われたのに遭遇したことがあります。

   早速、外に出て翁山を見上げましたら見事に点灯していました。依頼者や対象者とゆかりがなくとも、ほほえましい光景でした。

   主催者の 「翁山世界一の夢のツリー」実行委員会の合言葉は、「山が輝き、町が輝き、人が輝く」ですが、この合言葉のとおりまちづくりに新しい動きが出始めました。

   たとえば、「白壁(旧天領の町)の似合うロマンの町づくり」(町並みづくり研究会の結成と活動など)、「まちづくり景観条例の制定」(歴史と文化が薫り美しい自然環境を守り、継承する団体の認定)、「ポケットパークの整備」(古くなった住宅跡地等の利用による小規模な駐車場、休憩所、トイレ等の整備)等が実現し、その後もまちづくり活動は続いています。

   なお、 「翁山世界一の夢のツリー」実行委員会では、20年間の集大成として記念写真の提供を市民に呼びかけ、12月7日から来年1月末まで、府中市上下歴史文化資料館(電話0847-62-3999)へ展示しているそうです。

《ふるさとの地名俳句》 【矢野温泉】※全国屈指のラジュウム温泉
 矢野温泉冬日の中へみな猫背  赤木 芳政   

  

  
  
   

   

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2008年12月 1日 (月)

■【美術館巡り】特別展「徳川家・姫君の華麗なる世界~徳川美術館の名品~」を観て(福山市・広島県立歴史博物館)

尾張徳川家に伝わる至宝(名古屋市・徳川美術館所蔵)を歴代の姫の人生儀礼や生活に即して、「節目を祝う」「姫君の装い」「たしなみと遊び」の3部門で構成展示して好評。入館者4万人突破!!
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   特別展「徳川家・姫君の華麗なる世界~徳川美術館の名品~」(以下、本展という)は、去る10月17日(金)から11月24日(月・祝)まで広島県福山市内の県立歴史博物館(以下、当館という)で開催されたので、家人と遠出を兼ねて車で観に行きました。

   徳川美術館は、江戸時代に御三家筆頭として将軍家に次ぐ格式を誇った尾張徳川家に伝えられた重宝を収蔵することで広く知られています。   
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   本展には婚礼調度をはじめ、儀礼に用いられた道具、華やかな衣服や調度品、絵巻、武具など、国宝、重要文化財を含む徳川美術館所蔵の調度品約110点が展示されました。

   閉幕3日前の11月21日、入館者が4万人に達したと新聞、TVで報道されました。
   国内の多くの博物館が開館数年後から入館者の頭打ち傾向にある中で、本展の開催で本年度の当館は入館者増になりました。

   当館の過去4か年(暦年)の入館者数は、2004年が約37,000人、2005年が約34,000人、2006年が約34,000人、2007年が約86,000人となっています(出典:『広島県観光客数の動向』広島県)。  当館の一つの特別展開催で40,000人の入館者数は特筆に値します。

   本展の案内チラシの片隅に「同時開催:NHK大河ドラマ『篤姫』展」(10月17日~11月3日)が観覧料無料で掲載されていましたので、その相乗効果もあったのでしょうか。 なお、NHK大河ドラマ「篤姫」は後2回の放映で、好評裡に終わりそうです。

《ふるさとの地名俳句》【干満の潮待ち港・鞆の浦】
鞆の津の酒屋で暦もらひけり  越智 晶子 

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