【'08年末 故人悼記】広島県内初の民営ユースホステル「自然の森 MGユース・ホステル」を開設し、全国有数の人気ホステルに育てた“森岡ママ”が永眠。享年98(広島県府中市上下町)
◆長年にわたり青少年に交流の場を提供すると共に、原爆の恐ろしさや平和の尊さを伝える語り部を務めた人傑・森岡まさ子さんを偲ぶ
毎年、年末の新聞にこの1年間の著名人の墓碑銘(悼記)が載ります。 今年、森岡まさ子さん(注1)の訃報(5月13日死去)に接したときはショックを受けました。 訃報を聞いた友人、知人から、私の許へも驚きと惜しむ声が寄せられました。
90歳を過ぎてかかった大病から回復し、晩年は夫の遺志を継いで平和の大切さを伝えようと、講演に国内や世界中を飛び回っておられた森岡さんに、もっとご活躍していただきたかったと思われる人々は大勢居られると存じます。 本年末に際し、改めて森岡さんを追想してみたいと思います。
森岡さんには、1983年の春に初めてお会いしました。 前年に結成された「過疎を逆手にとる会」(注2)の第1回「逆手塾」(1泊2日)が、上下町隣町の総領町で開催された際にお目にかかりました。
翌年から、私は逆手塾のスタッフの一員となり、年1回の逆手塾開催の際には森岡さんにたびたびお越しいただいたり、森岡さんのMGユースで逆手塾の打ち上げをスタッフが行うなど、親しくしていただきました。

森岡さんにお目にかかると、心からの満面の笑みとお歳を感じさせない力強い話し方で、誰もが魅了されました。 全国からMGユースを訪れた若者が「森岡ママ」のフアンとなって「MGっ子」を名乗り、その後も足を運んだ事績は末長く語り継がれることでしょう。
残念ながら最近はお目にかかる機会がなく、私が最後にお会いしたのは1999年から始まった可部線存続運動(注3)の際、2001年1月に私の住んでいる可部町で開催された決起講演会で、森岡さんを講師にお迎えしたときでした。
当日、地元主催団体のメンバーとして会場スタッフをしていた私は、講演の前後に森岡さんへお目にかかって、親しくお話させていただきました。 お名刺は初対面時にいただいてから、その時が2度目で最後になりました。
一方、肉声ではありませんが、今夏に「NHKラジオ深夜便・心の時代」(午前4時台のラジオ放送)で、森岡さんの「出会いは人生の宝~97歳を生きる」(2夜連続)の1年前の再放送(リクエスト)を聴きました。
もうお声は聴けないと思っていた矢先、早朝に目が覚めてラジオのスイッチを入れたら、森岡さんの力強い声が流れてきて、これまで詳しくは知らなかった波乱万丈の人生を聴き、新たな感動を覚えました。
余談ながら、午前4時台のラジオ深夜便は新聞には、ゲスト名、タイトル等が載ってなく、偶然の聴取でしたので、何か因縁めいた感じがしました。 謹んで、森岡まさ子さんのご冥福をお祈りします。
《注1》森岡まさ子さんの略歴
森岡まさ子(1910-2008)上下町生まれ。旧制上下高等女学校卒業。 戦前、新聞記者・森岡敏之氏と結婚。その後、旧制京都大学マライーニ氏の秘書を勤め大きな影響を受ける。
戦後、終戦前の広島市内で原子爆弾の投下により被爆し、原爆症となった夫と共に上下町に帰郷する。
1959年、夫の希望で広島県内初の民営「自然の森 MG(モダンガイド)ユースホステル」(当初4畳半の一間のみ)を開設する。
このMGユースを舞台に若者との交流を続け、30万人の宿泊客の面倒を見て、「森岡ママ」と慕われた。
1967年、夫の死後も講演で全国を回り、原爆の恐ろしさや平和の尊さを訴え続けた。 旧上下町名誉町民。 92歳で「エイジレス章」(内閣府)授章。 2008年5月13日永眠。
○近著:『森岡ママは今日も笑顔で丘の上』講談社(2007) 定価(税込)1,680円 <本文の写真は表紙>
○商品名「CDセレクション ラジオ深夜便“出会いは人生の宝~97歳を生きる”森岡まさ子 B99BF」
販売価格 1,050円、, 内容 CD1枚 78分、 発売 NHKサービスセンター
《注2》過疎を逆手にとる会
1982年4月、広島県の山間部の過疎地域で発足した。 中国地方の若者たちが、過疎地域間のネットワーク形成を目的とした会。
過疎を逆手にとる会(通称:過疎逆)は、発足のときに「過疎を逆手にとる法10か条」(申し合わせ事項)を掲げ、これを理念とし、哲学ともした。
〔10か条〕1、「過疎」は「魅力ある可能性」と信じること。 2、「ない」ということは「なんでもやれる」という可能性があること。 3、目標は「東京にはできないこと」をやること。(以下、略)
年1回の「逆手塾」(1泊2日)は、最盛期には200名を超える参加者があり、全国の地域づくり活動に影響を与えた。 やがて、過疎を逆手にとる会は2001年に「逆手塾」に改称し、目的、内容、組織等も新しく生まれ変わっている。 ※現在の逆手塾については、<宮崎文隆のホームページ-逆手塾>をご覧ください。
《注3》可部線存続運動
1998年、JR西日本が可部線の非電化区間(可部ー三段峡間4602km)廃止計画を発表した。
沿線の広島市、湯来町(現広島市)、加計町・筒賀村・戸河内町(現安芸太田町)の自治体、地域住民、各種団体等は1999年から可部線存続運動を展開した。
活発な存続運動の努力も空しく、2003年11月30日をもって非電化区間(可部~三段峡)は廃止された。
《バラの俳句》【バラ】(バラ科) <NHK花言葉>愛
雨近し色極限の薔薇なりし 早間 幸枝
※私は森岡まさ子さんがお好きだった花を寡聞にして存じません。 しかし、私は大勢の方々が森岡さんを慕って取り囲んだ場面を何度か目にしたり、また森岡さんを中心にした集合写真を拝見して、「まるで森岡さんは“大輪の薔薇”のようだ」と感じたことがあります。 そこで、バラの花言葉「愛」とバラの俳句を森岡さんに献じます。
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