■【景勝地】西中国山地かわなみ街道「第4回かえるまつり」と「モリアオガエル生息の名勝庭園・吉水園一般公開」を観に(安芸太田町加計)
◆「カエル」を通じておとなから子どもまで、自然環境を守る大切さ、自然の豊かさを感じるイベントを創設(広島県安芸太田町)
6月上旬の土曜日に太田川の上流にある安芸太田町加計地区(平成合併前の旧加計町)へ地域イベント「かえるまつり」を観に家人とマイカーで行きました。
かつては私が住んでいる可部駅から加計駅を経由して、国の特別名勝「三段峡」のある三段峡駅までの63.2kmは、JR可部線(非電化区間)が運行されていました。
しかし、2003年11月に可部~三段峡間が「不採算路線」の理由から廃止され、以降は可部から安芸太田町(旧2町1村)へはバスあるいはマイカーが交通手段となりました。

その当地区は2004年10月1日に安芸太田町に合併した翌'05年から、これまでも6月、11月に一般公開していた県名勝・「吉水園」(注①)の公開に合わせて、6月は地域イベント「かえるまつり」を新しく開催しました。
今年はかえるまつりの4年目に当ります。 旧JR可部線加計駅跡の広場へ2005年に建設された「太田川交流館かけはし」をメイン会場に、春の吉水園一般公開や旧駅前商店街を中心とした街ぐるみ博物館(注②)など多彩な行事が開催されました。

第4回かえるまつり&吉水園のチラシには、「清流太田川の流れる安芸太田町では『カエル』を通じて大人から子どもまで、自然環境を守る大切さ、自然を豊かさを感じていただけるイベントを開催します。 イベントに参加して『若ガエル、地域がよみガエル』ことが出来れば最高です」と記載してありました。

メイン会場隣りの特設駐車場へ車を停めてメイン会場へ行きますと、ちょうどステージ上ではイベントが始まっていました。 会場内にはマスコットキャラクター「モリッピー」も出迎えていました。

私たちの主な目的は、年間2回で4日間しか公開されない由緒ある「吉水園」の庭園と園内の池の上に張り出した木の枝に産み付けられたモリアオガエル(県天然記念物)の卵塊を鑑賞することでした。

先日の新聞では産卵が終わったばかりの卵塊が見事に」木の枝にぶら下がった写真でしたが、残念ながら当日は泡とともに池に流れ落ちているのが多く、木の枝に残っていた卵塊は形が崩れていました。
庭園鑑賞が終わってから、商店街の各地に散在している「まちぐるみ博物館」を散策しました。 以前、鉄道があった頃は人気のまちぐるみ博物館でした。
しかし、鉄道廃止後は遠来客が少くて近隣客の割合が多くなったのか、店頭、店内への立ち寄り客が減ったように見受けました。
それでも、現地に約2時間近く滞在して、車庫に格納してあるディーゼル車に対面した後で昼食を摂り、復路は随所でレールを撤去した廃線跡や太田川に架かったままで錆び付いている鉄橋を眺めて、鉄道を運行していた往時を偲びながら帰宅しました。
注①《吉水園とモリアオガエル》 
江戸時代中期、江戸期を通じて中国地方でも最大手のたたら鉄山師であった「加計隅屋」16代当主が、近辺の山と池をそのまま活かして山荘(吉水亭)として造った廻遊式庭園で、県名勝に指定されている。
当園のモリアオガエルは、水辺の樹上に産卵するという奇妙な習性をもつ青蛙の一種。 5月上旬から6月下旬にかけてが産卵期で雌雄共同で直径10~15cmの真白い液状の塊をつくり、その中に約300個の卵を産みつける。
約1週間でふ化したオタマジャクシは、泡とともに次々に池に流れ落ちる。 幼蛙は2か月後は近くの森に入って行くが、その数はイモリなどの天敵の捕食を免れたごく少数のようである。(資料:『吉水園』パンフレットより)
注②《街ぐるみ博物館》 
1995年スタートした空き店舗や民家を活用した「街ぐるみ博物館」。 当時はレトロな展示が観光客の人気を呼び、都会の児童・生徒の総合的学習の場にもなった。 今回はキルトサロン展、神社の傑作絵馬公開、吉水園公開、神楽館、流木展、鍛冶屋館など10か所が出展。
《ふるさとの文学》 【鈴木三重吉と吉水園】 
1906年、(広島市出身の)作家鈴木三重吉は同じ漱石門下であった親友の加計正文(隅屋22代)を訪れて、初秋の日々をほぼ1週間吉水亭に滞在し、ここで得た題材を構想して名作「山彦」を書いた。
その書き出しには「城下見にゆこ13里、炭積んで行こ13里、と小唄に謡うという13里を、城下の泊りからとぼとぼと、3里は雨に濡れてきた。」とある。(資料:『吉水園』パンフレットより)
※園の入り口に鈴木三重吉「山彦」文学碑があります。
《太田川と舟運の開通》
太田川は冠山(広島県廿日市市)に水源を発し、安芸太田町(加計など)、広島市(可部など)を経由して河口の瀬戸内海に注ぐ、延長103kmの川。
寛文年間(1661年~1673年)頃に、上流は加計から可部を経由して下流の広島城下町までの約50kmの区間、米を始め木炭、木材などの生活物資が太田川の舟運を利用して運ばれた。
可部は太田川流域における最大の川船湊になった。
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